春眠暁を覚えずの解釈について

春の時期の定番

「春眠暁を覚えず」
高校時代だったと思うが、多くの人が漢文で習うこの言葉、多くの場面で引用されており漢文でありながらも、日本のメジャーなことわざと同じくらいの市民権を得ている。
そして、その言葉の解釈としては
「春は暖かくなってきたので、よく寝られて明るくなっているのにも気づかず寝てしまっていた」というようなちょっと怠惰な感じもする解釈が通例である。
しかし、世代を超えて引き継がれてきた名文が、そんな自堕落な感じのする響きというのは、違和感があるな、というのは以前から感じていた。
そして、10年くらい前だったと思うが違う解釈に出会った。
確かネットの記事だったと思うけれどもこんな感じだった。
「今までと同じように寝て起きているのに、気が付けば外は明るくなっている。日の出が早くなってきたことに春を感じられる」
なんとなくこっちの方がしっくりきて、その当時はなるほどと思い終わっていた。
しかし、やはり検証は必要だろう。

西安の日の出を調べてみると

この春眠暁を覚えずから始まる漢詩の作者は「孟浩然」ということですが、成立年については判然としていないようです。
ただ、ネットで検索していくつかの大学に掲載されている文章の多くが襄陽市にいたときのものではないか、とされているので、この頃のことかと思います。
当時の中国の暦については、ネットで簡単に調べられるレベルでは分かりませんでした。
しかし、人が生活していく上では体内時計は一定のリズムがあるのは、古今東西不変なはずなので、現在の時間を当てはめていきたいと思います。
現在のネット検索で襄陽市の日の出の時間を調べると冬場は当然遅くて1月は7時30分前後となっています。
何時に寝て何時に起きるかというのは人それぞれですが、この時期の日没は午後6時ころなので、そこから夕食やもろもろ4時間ほどしたら寝るとすると就寝は午後10時ころになります。
それから7時間ほど寝て、起きると午前5時ですので日の出の2時間半も前ということで、外はまだ暗い状態です。
これが4月になると日没は午後7時、日の出は午前6時ころになります。
日没後4時間後に寝ると就寝は午後11時、7時間寝て起きると午前
6時ということで日の出と同じくらいになるのですが、日の出のころというのはすでに周りは明るくなっていますから、ゆっくり寝ていなくても外は明るくなっているということが言えると思います。
もちろん、当時は油などは貴重でしょうから、日没後に何時間起きていたかということは、子細に検討すべきであろうと思いますし、当時の中国の春とは現代の何月に相当するのかということも検討しなければならないので、このような単純な計算だけで結論が出るものではありません。
しかしながら、春眠暁を覚えずの詩が、ただ寝坊しているだけのものとはちょっと思えないなと感じたので、調べてみました。

時代を超えていく言葉の特徴

今回は春眠暁を覚えずを取り上げてみたが、このような歴史の風雪に耐えて語り継がれていく言葉というのは、多くの場合、解釈の余地が大きい言葉であると思う。
解釈を様々にできる余白があるから、のちの人が後付けであれこれと意見を述べることができるので、いつまでも語り継がれていく。
言葉だけではなく美術の世界でも腕のないミロのヴィーナス、不思議な笑みをたたえるモナリザ、便器をアートと言ったマルセルデュシャンの泉など人々に議論を巻き起こすものほど、語り継がれているように感じる。
ということで、私は春眠暁を覚えずは、日の出の時刻が変わる季節の移ろいを写し取った美しい詩だと思うが、あなたはいかがだろうか?

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