なぜエンジニアリングなのか

惰性と甘えでエンジニアリングという手段を選ぼうとしてしまっているかもなという内省。
そうじゃないと頭でわかっているのに、頭でそれを選び取ってしまっていました。

エンジニア軸で事業つくります!

こんなことを言っている20代、就活生、多いんじゃないですか?僕がそうです、そうでした。
心の底から、勝ち筋になりうるし良い選択だろうと信じています。俺はそう思う。
本気で信じていたし信じて進もうとしていたけど、自分にとっては「なんかそうじゃない」が明らかになってしまった話。

革新的な価値を生み出すためにエンジニアリング!

新たな価値はテクノロジーからしか生まれない。
これはもう間違いないと思う。
ちょっと賢い人が頭捻ったって、天才的な閃きをしたって、テクノロジーなしに日々の生活が変わるような体験は生まれない。

だから、エンジニアリングをバックグラウンドに、社会が、世の人が求める価値を向き合えるようになる。
それによって本質的な価値とソリューションに気がつき実装することができる。
僕が1人の人として、また就活生として語った言葉。

うんうん、時代の大きな流れを汲み取っていて理性的で悪くない。マルチプロダクトの潮流の中で社会的なニーズともマッチしている。
でも一見筋は通っているように見えるけど、ツッコミどころは山ほどある。

  • 気がついたところで、実際に1人で実装するの?

  • エンジニアリングをわかっているから見通せるものってなに?結局売れなきゃ仕方なくない?

  • エンジニアバックグラウンドだとエンジニアとのコミュニケーションが有利?他の職種はどうやって巻き込むの?

  • 世の人が求める価値とは?誰もが求めるものをとりあえずつくるなら1番技術力がある人がやればよくない?

  • AIの時代において、自分で書くって重要?的外れなエゴじゃないか?

自分の体感より反論の切れ味が鈍いけどこんな感じ。
つまるところ、本質的な価値を〜と言っているのに手段が先行しているところがとてもダサい。

やりたいことはなんなのさ!

結局はまず動けって話。
事業をつくるにあたって総合力が重要なのは多くの人が経験した上で明らかな真実。
それに対してどのように登るのかはいくらでも考えうるが、新しくつくる以上同じ山を登るわけじゃないのだから、今いる地点からどうやって登るかを考えなきゃいけない。

登る山を決めよう。この山だと決められるなら理想。
そこまで覚悟が決まらないとか抽象的で包括的ならば、どんな山かを想像しよう。
それを現在地から登るときに必要なのは本当にスキルなのか、まずは登り始めることじゃないのか。
登り始めたら足りないものが見えてくるだろう、山頂付近の雪が難所だと思っていたらいきなり底なし沼をジャンプする必要に迫られるかもしれない。(例えが下手でごめん)
登り始めるのに必要なのは覚悟だけで、職業訓練なんて必要ない。

恥をかくことから始めます

ダジャレじゃないです。
理性的な判断が先行して、打算的に生きてきた人間が覚悟先行で選択するようになるのはとても難しい。

なので恥をかくことから始めます。
1人の時間の孤独のエネルギーに任せてもいい、酔った勢いでいい、語り合った興奮でもいい、恋に浮かされた時でもいい。
なんでもいいからとりあえず一瞬理性を飛ばして恥をかきに行く。

心の底から思っていることであれば、どんな状況のどんな拙い発信であっても、触れた誰かに届くと信じて。

「公開設定」
なんて情緒のないボタンなんだろう、一思いに飛ばせてほしい。


説明が下手と言われ続けて10年超。文章に自信なし、思考止まりで実行ハードルが高い人が毎日noteを書くことで修行しています(from 2024/01/13)。
恥をかくためのものにもなった。
X(Twitter): @yutoumetsu

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?