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問い続ける力とは?

石川先生の新書、拝読しました。

一番刺さったことはまとめるとこのようなイメージです。

複雑なものを複雑なまま受け入れる素地ができたような感覚です。

はっきりと「何のために成長が必要か?」が問われていて、目が覚める思いです。

成長の目的を明らかに。それを習慣に。そんなことを学びました。

この図は完全オリジナルですが、資本主義の部分は私にとって「成長志向」です。

もちろん大人の世界では、理由や願いが共有されているのであればそれは必要なことだし、良いですが、教育現場においては「意味の伴わない成長志向」がはびこっているように思います。

「物事には適正規模があり、成長だけが良いわけではない。」

これは有形資産と無形資産をどのバランスで欲するか、それは生徒にとってグラデーションで別れるならば、私たち教育者からの評価もグラデーションのように変化させる必要があるのではないか、と言う問いにつながりました。

それは前野先生のWell-beingサークルのようなものかもしれないし、違う形のものでも良いように思う。(私のもの。。恥)

「お金や数値以外の価値」について考えると、豊かになったことで、だんだんと「有形資産がないことへの危機感」は少なくなり、

個人の嗜好でしか測れない「無形資産」への欲求が高まっているように思います。

でもその実、まだまだ教育現場では、評価の出口が点数に主軸が置かれていると思います。

その生徒が無形資産を築ける素地が教育機関で養えるかは大きな考え方だと思います。


点数は学習習得度に追いて客観的なものであるので、その軸での判断は容易かもしれませんが、「なぜ点数が必要か」が不明瞭な場合に、納得感が得にくくなってきているように思います。

社会のニーズや人間性の成長と言う観点で無理やりこじつけることはできなくはないかもしれませんが、冒頭の図が頭にあると、正直物足りなさだらけで、申し訳ない思いで満たされます。


何のための点数評価か。

何のための5教科か。

何のためのクラス運営で、何のための学校行事か。

教育プログラムに、私たち教員はどんな思いを乗せ、どんな評価ができているだろうか。

評価と言う言葉がそもそも上からで、「診断」じゃダメなのか。

Teachの真意は「引き出すこと」と言う考え方があるが、教師は「引き出す人」たり得ているのか。

生徒との対話量・質は如何なものか。


大人が示す正解や、Factfulnessの先にはその子にとって何があるのか。

どんなことを生徒は信じ、どんなことをしていくのか。

その材料足り得る智育となっているのか。

語れないようではダメだと、本を読んでそう思いました。


まだまだ変革期の教育現場。

工夫のしがいがあります!


短期のスパンでは、温度感ある、「教師と生徒との対話」が、この未完成な教育制度の穴を埋めうる唯一の策だと思います。

そんなことを考え、今日も仕事、楽しんでいきましょう。

いつも応援してくださる皆様に田中GT善将は支えられ、幸せ者です。ありがとうございます!