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劇の台本の余白にあるものとは

劇の台本が読めない…

読んでも何が起こっているか、いまいち映像として掴めない…

登場人物が頭の中で動いてくれない…


アメリカに来てから、秋学期~春学期と演劇系の授業を取ってきて、

いつも私が苦しんでいることだ。

解決方法がわからなすぎて、この前、先生にも相談した。

「台本を読んでも何が起きているのかわからない。」

「登場人物の会話と動きが混乱してしまう」

先生からいろいろなやり方を教えてもらったけど、

図書館で勉強している私には、実践するのが難しいものが多くて、

どうしようかなぁって思ってます…

(本当は、台本を読むことにそこまで力を使ってる場合じゃないよ…っていう自分がいるせいです…。)


でも、最近、台本を読んだ後に、実際の演劇を観たり、

大学内の演劇のパフォーマンスに参加したりした結果、

その「わからない」っていうのは、英語力の不足によるものだけではなく、

「台本」っていう種類の文学の書き方の特徴にもあるんだなって気づいた。

今まで私が読んできた「小説」は、主人公の心の動き、行動、主人公を取り巻く人との会話がすべて書いてあった。

要するに、読者が主人公や物語に感情移入しやすいように書いてあった。

一方で、「台本」って、登場人物の会話と彼らがどのように動くかが書いてある脚本家の「指示書」みたいなもの。

その動きですら、最低限のことしか書いてないから、頭の中で登場人物が動いてくれない。

でも、その「台本の余白」こそ監督やその演劇に関わる人が創りあげるべき

空間なんだと思う。

その空間が、その作品の個性だし、監督や出演者の個性だ。

同じ脚本で、同じ数の人が参加した演劇でも、

監督や出演者が違えば全く違うものになる。

シーン一つ、登場人物の行動一つ違うだけで、

それは全く違う作品になる。

そこが、演劇を創ることの面白さなんだなって気づいた。


ダンスで自分の魅せ方が大切なように、

演劇や映画では、監督さん・演出さんの脚本の魅せ方が肝になる。

なるほどな~、創り方って大事。創りこむ過程ってすごく深い。

でもよく考えたら、音楽も一緒か。

同じ編成で同じ楽譜で同じ曲をやっても、

クレシェンドのかけ方(どこを最高点にして、どの音量にたどり着くのか)、

どんな風にメロディーを演奏するのかで、全然違う曲になるもんね。



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