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親友を亡くして思ったこと

とても長くしかも個人的な内容で、誰かの役に立つお話では無いかも知れませんが自分の今の気持ちを忘れないためにも書きます。

去る2017年12月9日に同級生の親友を亡くしました。40歳を目前に心筋梗塞でした。

私は岩手県で育ったのですが小学生の頃は家が近所なのもあって、ほぼ毎日彼の家に遊びに行く仲でした。手に入れたレアなビックリマンシールを自慢しあい、冬にはツララでチャンバラをして夏はキャンプに行きととにかく良く遊びました。

中学生になると私が引っ越したのとお互いが他のグループで遊び始めたのもあり、少しずつ遊ぶ機会が減って行きました。それでも私が一回転校詐欺みたいなことをしたんですが、プレゼントをわざわざ買って来てくれたりと友情は確かに感じていました。

高校生になると、完全に別の高校になり顔を会わせる機会も減り次第に疎遠になって行きました。高校時代に一度だけばったり町で会い、久しぶりに彼の家に遊びに行った時に画家を目指していると聞き凄く驚いたのを覚えています。

月日は経ち大人になり、人づてに彼が本当に画家になって個展を開いていることを聞きメールでおめでとうと送ったのをきっかけに連絡を取り合い当時お互いに趣味だった自転車ツーリングを東京でしました。

彼は本当に凝り性で、自転車にも並々ならぬこだわりがありました。こういう奴じゃないと芸術家にはなれんわなーと感心していました。

そしてまた月日は流れ今年の春、5年ぶりに再会しました。

私が写真を始めたのが今年なのですが、その写真を凄く褒めてくれて連絡をくれそれが再会のきっかけでした。

彼も写真を何年もやっていて(主に絵画のブツ撮り)カメラにも詳しく二人で熱く写真談義をしました。

子供の頃毎日遊んでいた彼と、大人になり恵比寿の僕の友人の店で大好きな写真の話をできるなんて夢にも思っていなかったしその時間がとても幸せでした。

彼は大学で絵を非常勤講師で教える傍ら、表参道に絵画教室を開いたばかりで精力的に活動していた反面相当なストレスも抱えていた様でした。

三軒茶屋に移動して、僕の行きつけのバーに連れて行き友達を紹介してバカ話をして盛り上がりました。

昔の私を知らない友人に、私の学生時代の話を交えて凄く褒めてくれました。人や仕事に対してかなり厳しい人間だけに彼に褒められると、お世辞では無いのが伝わり気恥ずかしくも嬉しかったです。

終電も近いから帰れよと言っても、よっぽど楽しかったのかなかなか帰らず煽る様に酒を飲んでいました。やっぱりストレスが大きかったのかな。

夏になり岩手で同級生が集まって飲む機会があり彼も参加しました。中学生以来に彼に会う友人も居て、今思うと本当に不思議なタイミングだったと思います。

また年末に集まろうと言う約束を交わしたものの、その約束を目前に12月9日彼は帰らぬ人になりました。

彼が亡くなってから、三日三晩泣き続けました。彼の名前をだすだけで、涙が溢れ嗚咽を漏らしました。

親に実家にある喪服を送ってもらおうと思い電話した時にも、話しながらそんな状態になりこの歳で親の前で感情をさらけ出すのが恥ずかしかったのを覚えています。

祖父や祖母が亡くなった時にもここまで泣かなかったので、自分でも驚きました。あまりにも突然で、想像もしていなかったからかも知れません。

私は心のどこかで彼に対してずっと嫉妬の様な憧れの様な感情を持っていました。

いつも私の先を行っていて、どこかで彼に認められたいと思っていたのかも知れません。

私は元々は料理人になりたくて上京したものの、挫折し今の仕事をしています。でも彼は高校生の頃に語った夢を本当に実現し叶えました。

彼の意思の強さ、継続する力と自分に対する厳しさを尊敬していました。

心のどこかで、彼が見ているから恥ずかしい写真はだせないなとかまた褒めて欲しいなとか無意識に思っていたのを亡くしてから思います。

会ってなくても心の支えになる人間ているのだなと。存在するだけで支えになっていた人間でした。

一番に私の写真を褒めてくれた人間を亡くしたことで、僕の写真熱が冷めると思いきやその逆でした。彼が一番褒めてくれたことだから頑張ろうと自然に思ったのです。

今はまだ技術もセンスもないけれど、いつか必ず彼に誇れる様な結果を写真で出してお墓に報告したいのです。

一番後悔していることは、なんで会った時に彼の写真撮らなかったのかなぁってことです。

もし、あなたがカメラが好きで周りの人より少しでも上手く撮れるのだったら友人の写真をたくさん撮ってあげて下さい。

これはあなたが、10代や20代の若さでも起こり得ることです。

長文、乱文失礼致しました。

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