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「誰かのため」「達成するため」以外の働き方を

最近読んだ最所さんnoteのこの文章が共感的でした。

いくらでも飾り立てることができ、実際とは違う虚像を演じることができる時代だからこそ、無理せず自然に成り立っているものの価値が上がっていくのではないか
まずは自分自身の幸福があり、そこに惹きつけられた人々が結果として集まってくるという流れこそが、これから王道になっていくのではないだろうかと思うのだ。

先日一人で鎌倉に週末旅行に行った時の、普段自分の生きる世界観となんだか違う、という感覚と、引用した文がどこかリンクしているように感じて、
人生観を見つめ直すきっかけになったので、今回はその話をつらつらと。

「自分がやりたいこと」と「取り組んでいること」の一致

宿泊先のホストファミリーもとても良い人で、巡ったお店も素敵なところばかりでした。

みんな迷いなく自分のやりたいことをやっていて、
「仕事だから仕方なくこれをやる」
「仕事だから嫌なことでもやる」がない世界。

やりたいことが明確にあり、自らの特性の活かし方に迷いがない。
鎌倉に住まい独自の働き方をしている人たちは、自己と言動の一致がなされている状態、つまり、「自分がしたいことと、日々の営みが一致している状態」なのかもな、と感じました。
(例えば、デザイナーやパン屋さんや靴屋さんが協働しているカフェ「テールベルト&カノムパン」さんは働き方含め非常に印象的でした。)

自分の実現したいことを自分のペースで形にし、そうすると周囲に人が集まり始める。そして徐々に実現したい世界が少しずつ作り上げられていく、そんなサイクルが回っている世界が広がっていました。

それは、課題や問題点を中心にせず、「自分が何を成し遂げたいのか」を大切に、自分にも他者にもウェイトを置かないWIN-WINな関係をごく自然に体現しているように見えました。

改めて考えた「生きる意味」

僕は自分らしく生きるための目標を、ざっくり「自分の欲求が最大限満たされる状態を目指すこと」だと思っていました。

誰でも持っているような、「誰かの役に立ちたい」みたいな欲求に従って、毎日を過ごしていた。

だけど欲求は満たされ続けることはなく、より強い刺激を人間は求める。欲求を追い続けることは本質的ではなく、心の隙間を埋めているだけに過ぎなかったのかもしれないと改めて考えました。

鎌倉は、そこで働く人たちの働き方や生活への思いが、提供物にありのまま反映されているような街。
だから、徐々に人が集まり、コミュニティが生まれ、活性化していき、さらに引かれた人が集っていく。

仕事(生活)への動機付けが、達成でも、安心でも、権力を振りかざすことでなく、自分の好きなものを提供していく姿勢を大切にしている。そこにはなんの操作性もなく、ただありのままにい続けていた。

毎日を忙しく過ごしていると時々、何かを見失っているような感覚になる時があります。
「自分を大切にできているのか?」
「周りを大切にできているのか?」
「時間を大切にできているのか?」
目の前の課題に一生懸命に取り組み続けている時、ふと、こんな思いがよぎり、ハッとする瞬間があるのは、僕だけではないはずで、その違和感は、心がチューニングを求めている瞬間なのではないかと思います。
その時に、自分がありたい姿へのチューニングがとても大切で、その作業は必ず自身の糧になるはずです。

cotree advent note 63日目

https://note.mu/kaz_hirayama/m/m7af22fc58495


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