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世界を救う勇者ではないので、週末に「何もしない」をしてきた

気のおけない友人と、平成最後の一泊旅行に行ってきた。学生時代から付き合いのある親しい友人3人との計画で、僕の提案で「何もしないこと」を目的にすることにした。

宿泊先は熱海の古民家風ゲストハウスで、別館を1棟丸々借りた。いちいち外に出なくてもいいように、温泉もカラオケルーム(!)も色々揃った宿で、事前に飲食物を買い込み、とにかくそこに「何もしない」ことをしにいった。

縁側に座って、窓から見える桜を見たり、遊びに来たホトトギスの鳴き声を聞いたり、友人と喋ったり、昼寝をしたり、ビールを飲んだり、カラオケをしたり、ビーチに行ってみたり。

いや、実際には色々している。確かにしているけれど、でもこれは、何もしていないのだと思う。
何もしていないとは、ただ無でい続けることではなく、刺激を受けないよう真っ暗闇でふとんを被っていることでもなく(それも時にはいいが)、「目的のない時間を過ごす」なのことだと思う。
「俺ら何もしてないな〜」と言える状態こそが何もしていない状態であり、その時間こそが、精神的エネルギーを今回大いに回復させた。

僕たちの毎日は、「その行動は何を解決(改善)するものなのか」という「目的」に大いに支配されている。

毎日働き、溜まった家事をして、子育てをして。
休日は仕事の疲れを癒すので精一杯。いつの間にか日が落ちている。そしてまた、月曜日が来る。

自分のことを世界を救う勇者だと思ったことは一度もないが、それでも毎日それなりの責任や役割を担っている。
責任や役割は「社会に役立っている」という感覚のために必要不可欠なものだけど、時々疲弊することもある。

疲弊をすることは悪いことではないと思うので、時々責任や役割を横にズラして解放される時間は大切だと思う。
また明日、責任や役割を担った自分を迎えるために。

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