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カウンセリングとコーチングを学んで気づいたこと

カウンセリングとコーチングを学んで、その違いを考えたりした時に、「もっともっと、困っている人たちに届けられるものを作りたいな」という気持ちになったので、そのことについて書いてみました。

公式アカウントでもコーチングについて触れましたが、あちらで語るのはちょっと恥ずかしいことを個人的に語ろうと思います。よければお付き合いください。

カウンセリング屋さんであることの歯がゆさ

僕は臨床心理士なんですが、カウンセリングをしている中で
「最初はカウンセリングなんて、と思っていました」
と、言われたことが何度もあります。(「だけど勇気を出してよかった」とその後言ってもらえるので、それはとても嬉しいことです)
こう言われるたびに、何とかできないものかと常にモヤモヤしています。(詳しくは所属する会社の社員紹介で話していますのでよければ)

カウンセリングや心理療法、メンタルヘルスには、「うつの人が受けるもの」「弱い人が受けるもの」などの、社会や世間全体を覆う強力なスティグマ(烙印)が存在します。

精神的健康や成長を促す上でカウンセリングはとても大切なのですが、世間的にはネガティブなイメージが強く、少しずつ許容されてきたとは言え、広まりにくいという側面は根深い。

このスティグマは、僕らのような、人の心に向き合ったり寄り添ったりすることを生業にする人にとって、とても重要で大きな存在だと考えています。
なぜなら、このスティグマの存在により、本当に僕らの支援を必要としている人たちに届けられていない現状があるからです。

目の前にきた一人一人に誠実に対応することは大切なのですが、この社会を覆うスティグマを払拭するために、僕たちができることを少しずつ考え、見つけていく必要があるのではないかと考えています。

ポジティブなコーチングは広まりやすい

一転コーチングはポジティブなメッセージにあふれています。
「本当の自分を知ることができる」
「答えや解決方法は全てあなたの中にある」
「自己実現、目標達成のために有効」
という、現代人にとって刺さりまくる訴求メッセージの数々。
名だたる大企業、また経営者がメソッドを取り入れはじめ、ここ2〜3年で見ても急速に広がりを見せています。

世の中には色々なコーチングがありますが、コーチング自体が全体的に「前進するためにあるもの」と位置付けられ、「あなたは何が望みなのか」「何を達成したいのか」を自分の解として明確にするアプローチであるものが多く、メッセージングもそういったコンテクストのものが多いです。

ですがふと、「何かを達成することが人生の目的なのだろうか」と考えました。
カウンセリングは、自分という存在を自分と受け止めることを大切にしていくという文脈があります。つまり、目的を達成している自分のみならず、ありのままの自分を愛していこう、そういうメッセージングが重視される傾向が強いのです。(例えば、休日に何もせずベットでゴロゴロしている自分も好きになる、みたいな)
カウンセリングとコーチングは、正反対とは言わないまでも、そういった部分で矛盾する側面があります。

カウンセリングを学んだ身でコーチングを実施することの意味

目的を達成することだけを人生の目的に設定せず、自分たちのペースを大切に、より自分らしくいられる。そして、優しさで繋がることができるような関わりを増やす。
カウンセリングやコーチングというパッケージングにこだわることの優先順位が高いとは限らず、最も重視されるべきことは、誰かの生きづらさを少しでも軽減できたり、自分らしく生きられる人が一人でも多く増えること。
そんな志で一人一人にも向き合いたいし、それが自分の人生のミッションではないか。カウンセリングとコーチングのどちらも学んだことで、改めてそんな風に思いました。
共感をしていただける方々とどんどん関わりを増やし、やさしさの輪を大きくしていきたいです。

cotree advent note 42日目です(そんなに続いているのすごい。読むの大変)


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