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南条あやになりたかったころ

3月30日がくるたび、まっさきに思うことは「南条あやの命日だ」ということです。2000年代前半にパソコンを手に入れたわたしが、一番よく見ていたサイトは多分「南条あやの保護室」だった。

みなさんこんにちは。村谷由香里です。
noteをご覧いただきありがとうございます。

南条あやという名前を知らない人も多いかもしれません。彼女はまだ「メンヘラ」という言葉もなかった時代に、メンタルヘルス系ネットアイドルとして有名になったライターさんです。享年18歳。1999年の3月30日に自殺しています。『卒業式まで死にません』という本が亡くなったあとに出版されたので、それをご存知の方はいるかもしれませんね。

14歳のころからリストカットを常習していたわたしが南条あやの日記に行きつくのは道理といえば道理で、中高生のころの記憶を辿ると、あのホームページは絶対に欠かせない要素になっています。
当時のわたしを作っていたのは、Coccoと椎名林檎と南条あやだったと言って過言ではない。アイデンティティが上手く確立できなかった思春期、人格の背骨になっていたのはいつも、誰かが作る音楽と文章でした。

疑いなく、わたしもあやちゃんみたいに18歳で死ぬんだと思っていました。高校の卒業式で遺書みたいな答辞を読んだ話を前にしましたが、友人たちみんなに「あいつこのあと死ぬんじゃねーかな」と思われていたんですよね。それはわたしがずっと、南条あやになりたがっていたからかもしれません。

卒業式を終え、大学生になってもわたしの自傷癖が治ることはなく、ようやくやめたのは21歳くらいのときだったと思います。左利きなのに左腕が手の甲から肩のあたりまでずっとめちゃくちゃでした。特に手の甲がやばかった。一番血管に当てやすかったから。

まあ、一生外で半袖が着られない人生です。カミソリの傷跡って薄くなるだけで消えないんですよね。手の甲は隠すのが面倒なんでもう諦めました。

そんな風に醜い傷跡を晒しながら、わたしは30まで生きてしまった。生き延びてしまったんだよな、と毎年この日になると思います。
南条あやになりたかった、あのころ何者でもなかったわたしは、いつのまにか村谷由香里になってしまった。
そしてそれをどうしてだか、どうしても今は、幸福に思ってしまうのです。

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