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【掌編小説】夢のあと

 プラットホームに供えられた花が枯れている。終電の行き過ぎた地元の駅。プラットフォームはおろか駅自体にわたし以外の誰もいない。わたしはしおれた花束を拾い上げ、新しいものを同じ場所に置く。

 十月の夜の空気は冷たく、けれど刺すような寒さはまだ遠い。初秋のやわらかさを失い、冬の鋭さを持たぬ曖昧な寒さはただ「足りない」という言葉がよく似合った。
 この駅で友人が死んだ。この夏のことだ。
 いつもは閑散としている駅のプラットホームが、唯一隣町の花火大会の日にだけ人の海と化す。浮き足だった人の群れの中、彼女とわたしは疲れた顔で長い列の先頭に立っていた。わたしたちは別に花火大会に行こうとしていたわけではなかった。ただ、友人が緊急で隣町の親戚の家にいかなくてはならなくなって、食事を共にしていたわたしは彼女を見送りに付き添っていたのだ。
「タイミング最悪だな」
 とわたしは息を吐く。「悪かった」と、何故だか彼女が謝った。わたしは友人の顔を見る。青白い顔に、ファンデーションでも隠しきれない隈が浮かんでいた。友人はその日の朝ほとんど寝ずに東京から帰ってきていた。
「改めて見ると酷い顔してんね。何でそんな寝てないの」
「仕事が終わらなくて」
 やつれた頬の筋肉を不器用に上げて彼女は笑う。わたしは人の熱気に眉をひそめながら「もうこっちに帰ってきてしまえばいいのに」と応えた。東京なんてこんな田舎の人間が暮らせる場所じゃない、と続ける。彼女はわたしの言葉に曖昧に笑って、
「そういうわけにもいかんのよ」
 と、言う。午前七時前の空はまだ昼間の名残をとどめ、このまま夜など来ないような気さえしていた。
「なんでよ」
 わたしは口を尖らせて彼女の顔を見る。彼女は疲れた目を一度瞬いてから、
「やりたいことがあるから」
 と、軽い口調で言った。
「あんたそのうち自殺か過労死かしそう」
「それはありえる」
 わたしの言葉に、彼女はさっきより一層綺麗に笑った。
 彼女が絵描きの夢を追って上京したことを、本当は知っていた。だがそれとは全く関係のない仕事に追われ、心身ともにすり減らしていることもわかっていた。それでも彼女はあの雑多な街にしがみつく。夢や目標と言った類いのものを何も持たぬわたしにはそれが羨ましくもあり疎ましくもあって、あまり上手に笑い返せなかった。
「人生諦めて生きていけたらそれが一番良いんだけど、そうもいかない」
 ままならんよな、と独り言のように呟く。
「わたしはとっくの昔に諦めている」
 そう返したわたしに、「お前が正しいよ」と、彼女はまた笑った。

 夏の暑さと雑踏が絶えず肌にまとわりつく。高校生のはしゃぐ声と子どものむずかる声を聞いていた。そのうち、遠くで踏切が鳴る。臨時の四両編成の黄色い車両がホームに入るほんの数秒前だった。後ろの方でざわめきが起きた。わたしは振り返り、何だろうと呟く。その瞬間。友人のすぐ後ろの列が急に動いた。わっという声。雪崩れる人の波。そして、

 電車が到着する瞬間、彼女の身体が線路に投げ出された。

 その時のことは鮮烈に覚えている。鋭いブレーキの音も、何かが砕ける音も、線路際に生い茂る青々した雑草に、赤い飛沫が散ったことも。混乱を起こすホーム。音割れして聞こえない駅内放送。立ち尽くす自分の両足。
「なんで」
 震えた自分の声が耳に届く。わたしはそのまましゃがみ込んで、その後のことは何も、覚えていない。

 あれから数ヶ月、何度かこの場所に花を供えた。決まって終電が出た後。誰もいなくなってから。電車を見るのが、恐ろしかったからだ。
 タイミングが最悪だと、あの時わたしは言った。悪かったと何故だか彼女が謝った。何故あの日この場所で彼女が死ななければならなかったのだろうと今でもよく考える。せめて彼女が東京で、夢破れた末に自殺していれば、過労の末に倒れていれば、まだ納得がいったのだろうか。
 いや、そうじゃない。そうじゃないのだ。

 わたしはしおれた花束を手に立ち上がる。「また来るよ」とそう言った。十月の夜。中途半端に冷たい風が吹く。わたしは暗い階段を一人で上った。


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