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自己肯定感の歪み

ツイッターのトレンドに自己肯定感が入っていたので眺めていたんですが、自己肯定感を高める方法って今ひとつわからないですよね。今の自分が自己肯定感高いほうなのか低いほうなのかも今ひとつわかってない。

村谷由香里です。
noteをご覧いただきありがとうございます。

自己肯定感を「自分自身が自分自身の存在をそのまま承認すること」とするなら、思春期のころガンガン手首を切って「これくらい罰しとけばまあ存在してても許されるやろ!」と考えていたわたしはマジでヤクザな方法を取ってたんだなと思いました。
手首を切る理由ってリストカッター各々あると思うんですけど、わたしは多分自己の承認が欲しかったんですよね。生きていてもいいと思いたかった。

何はなくとも生きていて良い、という気持ちは年齢を重ねるごとに増してきたように思います。図々しくなったと言われることもある。
何がきっかけだったのかはあんまり覚えてないんだけど、何か良い出会いがあったんでしょうね。自分だけで意識の改革はできないと思うので。

わたしは「小説を書けなくなったら死ぬ」とよく言っていますが、それは自己肯定感云々より意地とかプライドの類なんだろうと思います。というか自己肯定感が高いゆえのプライドじゃないのかと思う……どうなんでしょうか。
書けなくなったらこの人生を歩む必要性が感じられない。そんなわたしには絶対に死を選んでほしい。大切な人も好きなものも優しい未来も恩赦も肯定も何もかもすべて振り切って死んでくれ、頼む。わたしの誇りのために。

いやわかんないけどね。
いざ死ぬぞとなったら嫌なのかも。死にきれないのかもしれない。小説が書けないくせにのうのうと生きていくの絶対嫌なんだけど、今まで死にきれなかったんだから簡単に死ねると思うなよとも思っちゃう。

わたしの自己肯定感は歪んでいるんでしょうか。わかんないな。小説は今日も当たり前に書きたくないです。

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