見出し画像

日常:風船

 ひとつの疑問がある。
 人はいつ好きと認識するのだろうか?
 これは単に人を、という意味ではない。異性に関する話だ。当然だ。
 この日、この時、この瞬間に恋に落ちるものだろうか?
 

 異性を好きになったことも嫌いになったこともある。それは人に備わった当然の機能なので当たり前のことだ。
 

 思い返せば、気がつけば、いつの間にか人のことを好きになっていた――それが自然なことだと思う。
 異性にときめいた瞬間、それが好きになった瞬間なのだろうか?
 ささいな仕草や、なにげない会話の中にときめきは潜んでいる。いつ現われるのかわからないからこそ、ときめきには価値がある。
 そのときめきポイントがどれだけたまれば好きになるのだろうか?
 好きの到達点にポイントが溜まった瞬間に、その人のことを急に好きになるのだろうか?
 

 青臭い疑問なだけに、友達に聞くことすらためらわれる。中高生の悩みみたいだな、なんて言われたら、いい日を選んで自死するしか選択肢がない。
 俺にはひとつの基準がある。好きになった異性が決まって夢に出てくるのだ。

 これに例外はない。そんな人生だ。

 二週間ほど前の話になる。
 夢を見た。

 一面見渡す限りの原野だった。大樹の木陰になぜかテレビが置いてあり、俺はテレビゲームをやっていた。
 盛り上がっていた。一人ではなかった。対戦型格闘ゲーム。
 全くに近いぐらい相手に勝てなかったのに、楽しさだけはあった。
 対戦相手は、女性だった。
 年齢は十は下かもしれない。肩に掛かる髪はいかにもヤンキーでしたと言わんばかりに、キレイに染め上げられた金髪で、ややキツめの目つきで、仕事中なせいか、表情がとぼしく、喋らずとも気の強さを感じさせる。

 見覚えはありすぎるぐらいあった。出勤するときに毎日のように寄るコンビニ、そこの店員だ。

 なぜ彼女が急に出てきたのか。
 考えても明確な答えはいまだに出ていな。

 それでも最近は、二週間に三度も四度も出てきたから、例外もあるのか、という考えがもたげてきた。

 例外は問題だ。

 潜在的に好きだったから夢にみたのかとも思ってみても、ハッキリいって俺の好みではない。好みで言えばむしろ真逆だと言っていい。
 毎日のように顔を合わせてはいるけど、会話はしたことがない彼女、名前は『なわて』で――胸のネームカードで確認――薬指に指輪はしていない、声はややしゃがれているからお酒好きなのかもしれない。などとイヤでも意識してしまう。

 これは運命なのか?

 神様が教えてくれた、潜在意識なのか?

 神様が店先でナンパをしろと言っているのか?

 明確は答えはでないのに、新たな疑問だけが生まれ続ける。

 唯一明確にわかったいるのは、なわてさんの顔を憶えていたのは、彼女だけマスクをせずに接客をしていたから、といことだけだ。

 いつも寄る時間帯、お客は少ない。
 声を掛けるチャンスは毎日あるのだ。

 そもそも、どう声を掛ければいいかわからない。
 電話番号を書いた紙でもわたせばいいのか?

 それとも、『なわて』はどんな漢字を書くのかと聞けばいいのだろうか?
 今日こそ、今日こそ、で過ぎるここ数日である。

 なわてさんのことを思い浮かべながら眠るここ数日である。

 夢の中では、あんなに会話が盛り上がっているのに、現実では客と店員の通り一遍の会話しかしたことがない。
 夢の中で、ゲームをしたら、ドライブに行ったり、映画を観に行ったりデートを重ねている。

 そもそも、過去に好きななった女性でもこんなに出演したことがない。

 その日は、やけに薄着で現われた。
 暗い世界になわてさんしか見えない。

 乳首が透けそうで、俺は視線を上に下に、定めることができない。
 夢の外では見たことがない愛おしい笑みで俺を見る。

 見つめ合う。

 なわてさんがシャツをめくあげた。

 期待と不安。

 そうだ、胸の大きさだけは好みだった。

 なわてさんは、めくったシャツの中から、空気で膨らませた風船をだしてきた。

 なんなのか理解できず、俺はデキの悪い生徒のように無言でなわてさんを見続けるしかできなかった。

 なわてさんは笑みを崩さず、いつの間にか手に持っていた針を風船に突き刺した。

 バンッ! っという音の瞬間に目が覚めた。カーテンの閉めない薄暗い自部屋に一人。

 胸のドキドキはときめきでも愛おしさでもなく、単に驚かされたからだ。
 手を伸ばしてiPhoneで時間を確認すると、眠りについて二十分ほどしかたっていなかった。

 胸のドキドキはなかなかおさまらず、再び眠りの淵から落ちるのに二時間以上は必要になった。

 その日以来、なわてさんが夢の中に入ってきてくるれることは、一度もなかった。

 多分、俺はからかわれただけなのだ。

 その答えに行き着いたとき、意識の中にも、なわてさんが入ってきてくることはなかった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?