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日常:ネコ

 ネコが、死んでいた。
 駐車場の近くだ。駐車場と言っても、職場や出先ではない、自宅近くの駐車場の方だ。

 車に乗り始めてからずっと路上駐車だった。自宅に駐車スペースはあるものの、両親の乗っている車一台分の広さしかないのだ。初めてのマイカーは中古の箱バンだったし、その次は軽の四輪駆動車だったので、どちらも車体の汚れを気にする必要はなく、それよりも少しでも近くに駐車することの方が重要だった。

 元々車に興味がないし、持ったことすらない。それでもいいなと思う車ぐらいあるもので、四輪駆動車を選択したのものの、肝心の四駆を使ったのは友達とBBQに行った時に河原で遊んだ一、二回だけだったので、アレは完全に失敗だった。タイヤも高かったのも痛かった。
 それから買い換えたのが今乗っている軽のトールワゴン車だ。人生で初めての新車購入だし、さすがに野ざらしというわけにもいかない。そこで父の叔父の駐車場を借りることにしたのだ。歩いて五分、自転車で一、二分なので我慢できる範囲内だ。

 仕事終わり、その駐車場に帰ってきたときに発見したのだ、ネコの死体を。
 道の端に丸く横たわって亡くなっていた。茶虎色。俺はそれを軽く確認して駐車場に車を滑り込ませた。駐車場はブロック塀に囲まれているので中からネコの死体は確認できない。
 国道から一本入った道なせいか、時間帯もあってか、行き交う車もそこそこ多。
 ネコというヤツは道に飛び出してくるのが得意なので轢かれるのだろう。ネコには悪いが轢いてしまえば、放置してしまう心情も理解できる。俺だって、そうするかもしれない。

 小学生の頃、ちょうどこの道で――正確にはもう少し先になるが犬が轢かれていたことがあった。
 兄が帰宅したと思ったら、犬が轢かれていたと言ったのでわざわざ見に行ったのだ。自転車に乗り、必死にペダルをこいで見に行った。柴犬だった。ベロを出し、肛門からフンが出ていた。目玉が飛び出していた。しかしそれは悪い方に思い出は補正されているだけかもしれない。興味本位なのか恐いモノ見たさなのかなんなのか、今となっては見に行こうと思った理由が思い出せない。

 そして犬の死体を見て、なにを思ったのかも思い出せない。ただ犬の死体を見に行ったという記憶にこびりついているのだ。それの汚れがいま浮かび上がってきた。

 生きていて、死体に出くわすことはそれほどない。虫の死体など死体であって死体ではない。
 人の死体なら葬式ぐらいのもんだし、動物の轢死体に出くわすこともたまにはあっても、進んでその死に近づこうとはしない。とつぜん現われたそのような死から、はやく遠ざかろうとするだけだ。なにも悪くないし、良くもない、当たり前の行動というだけだ。

 あのネコは飼いネコなのか、野良ネコなのか、そういえば時折この駐車場で日向ぼっこをしているネコに出くわしたことがあった。あれは首輪をしていたから飼いネコなはずだ。しかし色が違う。

 子供の頃は野良ネコもよく見かけた気がする。ゴミ箱をあさるといって、母が捕獲器を使って捕らえたことがあった。母はやたらとネコを嫌っていて、敵視していると言っていい。もしかすると前世がネコに殺されたネズミか鳥かもしれない――まあ、本当のところは花壇にフンをされたりするからだろう。

 捕らえたネコはそのまま川に、などということはしなかった。他人の迷惑などなんのその、買い物に行ったついでにスーパーの駐車場で解き放っていた。


 車から自転車に乗り換え、どうしたものか、と少し思った。

 右に行けばネコの死体、左に行けばなにもない。どちらも家にはたどり着くことはできる。

 いつもは左の道を選んで帰っている。

 人は動物に死体を間近で見て、生を感じるものなのだろうか?

 そのとき実感できるものとはなんなのだろうか?

 なにを得て、なにを失うのだろうか?

 どのみち、その実感も数日で薄れて消えてしまい、ネコの死体をみたという記憶しかのこらないのだ。

 右の方に行く。

 興味本位か恐いモノ見たさか、昔も今も、わからない。

 スピードを落とさない車とすれ違う。

 すぐに、ネコの死体まで到達した。


 それは、丸まった茶色のタオルだった。

 俺は自転車のスピードを上げも下げもせず、ただ通り過ぎた。


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TVヤース

やれるコト、やりたいコト、やらなければいけないコトをやれるだけ。 散文。絵。小説は短め。誤字脱字があったらごめんなさい、ってことで。 映画、小説、漫画、絵、細かく言い出すとキリがないけれど、好きなコトが多い私です。

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