【小説】オランダの隣の国

ふと見上げた。
昼前からこぼれだし十二時を過ぎた辺りから本降りとなった雨が、このまま降り続くのかかと思ったが、いつの間にか雨はやんでいた。
今日一日鮎川はそれだけが心配だったのだ。
 ――アイツに雨は似合わんもんなぁ……
 長い黒服の行列。遅々として進まない。鮎川はそれほどせっかちというわけではないので、列が進まない事には腹は立たないが、後方から聞こえる中年女性二人の会話が気に喰わない
 ――小声で喋っとっても、全部聞こえとるがな! 迷惑やねん、空気読めよアホが!
 胸のうちで毒づくが、声には出さない。声に出して怒鳴ってしまえば、もっと余計な迷惑をかけてしまうから……。鮎川はそう思い。自分の気の弱さをカバーし、一人微笑する。
 同じ年代の人間が多い。参列者を見てそう思った。何人かには挨拶ぐらいはしたが、知っている顔はほとんどいない。以前、友人が多いと自慢された事があったが、こんなところで証明されるとは皮肉な話だ。
 ようやく自分の番が回ってきた。しかし、回ってきたのはいいけども、鮎川は焼香のやり方がいまいち分からず、隣の人がやっているのをちらりと見て、見よう見真似で適当にすました。
 合掌し、軽く頭を下げ、上げる。
 ――アホほどデカイ遺影やなぁ。んでいつの時の写真やねん。めっちゃ若いやんか。
 思わず突っ込んでしまう。鮎川がいるところの少し奥に、井口の両親が座っていて、焼香を上げてくれた人、一人一人に頭を下げていた。前に井口の親父さんを町で見かけたら一発で分かると誰かが言っていたが、本当だ。井口と親父さんは驚くほど似ている。
 違いは若いか、ハゲてないかだかだ。
 ――親父さんの方にソックリやな。アイツもあと数年したら、あの親父さんのようにハゲたんやろか?
 井口の頭がハゲた姿を勝手に想像すると、自然と笑いが込み上げてきた。
 鮎川は口元を押さえ、列から外れた。

高校で知り合った。
 鮎川の真後ろの席が井口だった。初めは後ろの席、ってだけで話かけたのだが、以外と趣味や好みが合い、仲良くなった。学校外でも時々遊んだし、Wデートなんて恥ずかしい事もした事もある。
 しかし高校を卒業して、別々の大学に進んだのをきっかけに、徐々に疎遠になり、いつの間にか付き合いも無くなった。鮎川が一度携帯を川に落とし、メモリーを全て消去してしまたのも原因の一つかもしれない。
 井口の存在も忘れかけていた。
 しかし最近になって、鮎川の職場近くのコンビニ店員として突如現れたのだ。
『いらっしゃいませ』
『あれ? 井口?』
「百円が一点、二点」
『おい、井口やろ? 俺だよ俺』
『五百九十円が一点」
『鮎川だよ!』
『三百十五円が一点』
『おい……』
余りに露骨に無視するので、鮎川は一瞬人間違いしたのかと思い戸惑った。
『お会計一千億万円になりまぁすぅ』
 そう言って井口が笑った。

「そういや、井口って一時、ドイツって呼ばれてへんかった? あれなんでドイツやったんやろ?」
 一緒に飲んでいた高校時代の友達が、いきなり鮎川に疑問を投げかけてきた。
「ビールが好きやったからやろ」
 一瞬考えて答える。
「そうやっけ?」
「多分……」
 最後は自信なさげに保険をつけた。友達は勝手に納得し、他の友達に説明しはじめた。
――まあ、井口のビール好きは間違いないんやし、ええか。
鮎川は一人そう思い、ビールの入ったコップをあけた。
初め鮎川は通夜の夜に、遺体の前でビールで宴会なんて不謹慎な事と思ったが、井口の通夜だからこそ、それがいい事なのだとだんだん思えて来た。
 井口は高ニでビールを憶えてから、晩酌をかかした事が無いと豪語していた。実際、晩酌ではないが修学旅行でも毎日かくれてビールを飲んでいた。
 ――わえはビール好きやさか、ドイツって呼んでくれや。
 たしかそう言っていた記憶がある。

「よかったら見てあげてください」
 井口の嫁が喋りかけてきた。皆が移動するので鮎川もビール瓶とコップを片手に移動する。今思うとコンビニ店員でどうやって嫁と子供を食わせていたのか不思議だ。もしかするとバイトじゃなく正社員だったのだろうか?
 井口がコンビニで働いてるのを知ってから、鮎川は用が無くてもコンビニに行くようになった。たまに喋りこんだりもした。携帯とアドレスの番号を交換し、何度か遊んだ。

『ほな、またな』
『おうっ』
それが井口と交わした最後の言葉だ。

 井口の嫁がゆっくりと棺桶の覗き窓を開ける。
「キレイやな」
「顔は……大丈夫だったんです……」
 井口の顔を見て鮎川がなにげない感想を漏らすと、井口の嫁が泣きながら答えた。
 井口は事故死だ。詳しくは知らない。鮎川の母の話では新聞にもその事故の記事は載っていて、結構大きな事故だったらしい。
 井口の死に顔をあまり見たくないのか、皆はすぐにゾロゾロと元の位置に戻る。鮎川自身もビール瓶とコップを持参したのはいいが、井口の死に顔をみて飲む気にはなれなかった。
 井口の嫁が蓋を閉めたのをきっかけに、鮎川も立ち上がった。

「あっ……」
 井口の嫁が不思議そうな顔で鮎川を見た。
「なにか?」
「いや……」
 鮎川は一人赤面しながら首を振る。

『この鉛筆ドイツんだ?』
『オランダ!』
『ははは、そえやったら、近くの席のわえはドイツやな』

 フイに思いだした。――アホな理由や。
 落とした鉛筆を拾ってもらって、ダジャレで聞かれたからダジャレで返した。多分、井口と話すきっかけの出来事だ。
ビール好きだからドイツ。――それは井口が友達になぜあだ名がドイツなのかを聞かれて、適当にボケた答だ。
井口の嫁も近くにいない。一人になった鮎川は勝手に棺桶の覗き窓を開ける。

「今日の晩酌まだか?」

 鮎川はビール瓶を傾け、井口に飲ませてやった。
 後方から怒声が聞こえた。
 なんだか、笑ったような気がした……。



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