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一寸先すら見えない闇の中に。

2019年はわたしにとって最強レベルで疲れた1年だった。理由は明確だ。

妻子ある男性を好きになったからだ。彼には奥さんと子供が2人いる。立派な父親である。


はじめは楽しさしかなかった。二人での食事も、仕事を早く終わらせて楽しむ夜も、一緒に行く出張も、旅行も。

日に日に楽しさと一緒に苦しさも増した。その苦しみさえ彼にぶつけた。そんな私を受け止めてくれる彼は優しいと感じていた。

彼の誕生日、私の誕生日、クリスマス、長期休暇は会えなかったし、たまにSNSにあがる家族の写真には吐き気がしたし、携帯画面が見えたときには胸が締め付けられた。

結婚適齢期を少し過ぎた私には帰る場所がなかった。実家に帰れば結婚を煽られ幸せそうな弟夫婦の話が聞こえてくる。結婚願望のある私には、彼が好きだから彼の奥さんに嫉妬をするということももちろんだが、帰る場所がある彼自身にも嫉妬をしていた。

家族がいて仕事がうまくいっていて、誰からも好かれる彼に嫉妬をしていた。

彼はいつも私の社交性を褒めてくれたが、それは偽りの私だった。表面上では社交性の高い人を演じていた。本当は嫌われるのが怖くて、人の輪に入って混ざって安心したいだけだった。

彼とはSNSでつながっており、そのうち彼の奥さんのSNSまで見つけてしまった。幸せそうな投稿が並んでいた。彼が仕事で遅くまで起きていた、という日には二人で夜が明けるまで話して幸せだ、と書いていた。彼が献身的に奥さんを支えているような内容の投稿もたくさんあった。

私はますます劣等感に駆られた。苦しくなった。仕事にも手をつけられなくなり、早退したり休む日も出てきた。生活能力が一気に落ち、友人にも会わなくなり一人で過ごすことが増えた。何をしていてもブルーで気持ちが晴れず、結局は一人でいる方が楽だったからだ。夜は毎日のように泣き疲れて寝る、というサイクルだった。涙は枯れないんだな、と感心さえした。

それでも彼とはたまに会い平気なフリをする。はじめは向き合ってくれていたが、あまりにも泣き虫の私に呆れているようだったので泣くのも我慢した。

年末に差し掛かるころ、想いは爆発した。

好きな気持ちより苦しい気持ち、しんどい気持ちが勝っていることに気づいた。もう彼のことを考えたくない、そう思うようになった。とはいえ、まだ好きという気持ちが消えたわけではない。どちらかというと大好きで、楽しかった日を思い出しては、悩んだ。

サヨナラすべきか。

そもそも付き合おう、好き、とかいう会話は今までなかったため、彼からするとただの友達かもしれない。もう会わないというのもおかしいのかもしれないと悩んだ。

悩んだ末に、やっぱりきちんと言おうと決意した。

彼に会った瞬間から涙は止まらなかった。その一言を言うまでに何時間もかかった。なんとなく、彼も気付いていたとおもう。彼はすんなり受け入れた。受け入れた、というより、少しの間会わないでおこう、と言われた。

ズルイな、と思った。きちんと否定できなかった私も中途半端だな、と思った。

そのあとは、こうなってしまった原因について話した。終始、彼は他人事のように話したし、自分には全く非がないような口調で話をし、そもそも完全に原因を履き違えて理解していた。

最後に、それは違うよ、とだけ言ったが、きっと何も伝わっていないし理解もしようとしていないと思う。

その日は一日中泣いた。年が明けしばらくした今、ようやく振り返れるようになった。

思い返せば、大切な日に会う努力もしてくれなかったし、会いたいと言えば会える範囲では返してくれたがそれ以上はなかった。会社の同僚以下なんじゃないか、と思うことさえあった。

好きというフィルターが少しずつ消えていくにつれ見えてくるのは、最低な人だった、ということである。

もちろん、私も最低である。世間的に最低だが、ここでは私視点でしか書かない。

でも最低な彼に学んだことはいくつかある。彼との一年を否定はしたくない。彼を好きになった自分自身も否定しない。楽しかった時間も間違いなくあった。でも、それ以上にたくさん傷を負った。脳が麻痺するくらい苦しかった。何かにずっと縛られて、どこかでずっと開放を願っていた。

2019年、ずっと暗闇にいた。そんな一年だった。

2020年は自分を大切にしたい。自分ファーストで生きる。