日本民族伝説全集 北陸篇(富山)


膳椀貸しの繩池

能美郡簑谷村簑谷山の絶頂に、東西四五町、南北七八
町ばかりの池があります。池の水、藍のように、あおあお
とたたえております。池の名を、繩池といって、毎年七
月十五日の夜には、この池の主の神蛇が、美しい女体の
姿に現じて、一夜、池の上で遊楽するというので、この
日一日だけの登山を禁じておりました。
いつの頃でしたか、この里の土民、豊作の祝事があっ
し、村長はじめ、古い友など饗応しなければならない順
番に当りましたが、家が貧しくて、宴会用の器がありま
せん。ある日、ふと、この池のほとりに立って、池の主
に、そのことを嘆いて、
「おらも、長者さまの家のような、朱椀や朱膳がほしい
んだ。せめて十人前ありゃあいいのだが」
といってつぶやきますと、ふしぎや、繩池の池波が、
ざわざわと動きだし、たちまち、池の上に、長者さまの
家のと同じような、朱椀十人前、朱膳十人前が浮び出て、
やがて、ひたひたと、池の汀に寄せてきました。
「やや、朱椀じゃ、朱膳じゃ」
と、貧しい人は、おどろいて、汀から、朱椀十人前、
朱膳十人前を、すくいあげて、
「池の主さま、これ借してたまわれたのかえ」
と、ひどく感動いたしました。
「そうにちがいない、池の主さま、おらの貧乏をあわれ
んで、借してくだされたのじゃ。ありがとう、ありがと
う、祝事すませたら、きっとおかえしにまいります」
こういって、ちょうどそこにあった、繩にからげて、
荷う時、また、
「ありがとうございます、きっと、用済次第、おかえし
にまいります。ほう、繩も、きっと、おかえしにあがり
ます」
貧しい人は、よろこんで、膳椀荷って、家にかえって
きました。
それでその祝事の饗応の前日になっても、貧しい人は、
頭を下げて、"じつはその、祝事の番に当ったのですが、
わしの家は、知っての通りの村での貧乏人で、もてなし
の膳椀などというものの用意がございませんでな。どう
そ、もてなし用の膳椀一揃おかしねがえんでしょうか。
せめて、長者さまと村長のは、美しい朱椀にいたしたい
のですがな"と、借りに来んとはふしぎだと、長者様は
思いました。貧しい人は、また、"やれやれ、あの傲慢な
長者さまン家へ、借りにゆかずに済んだとは、うれしい
ことだ"と、料理は、山川の収穫物、器用に、ご馳走そろ
えて待っていますと、まず、親しい友が、やってきて、
「膳椀どうやった」
と、たずねます。
「どうやら、お借りして間にあった」
「そうか」
と、問答しているところへ、傲慢な長者さまが、や
てきて、席につきます。長者さまは、"とうとう、ゆんべ
は膳椀借りに来なんだが、今になって、急に借してくれ
ろといったって、だめだから"と心中にきめこんで、し
ぶい顔しているところへ、貧しい人は、やってきて、
これは、これは、長者さま、こんな、やぶせい家にお
越しくだされて、ありがとう存じます」
と、挨拶はしても、膳椀をかりることには、いっこう
触れません。そこへ、また、村の中老がやってきて、貧
しい人に、のっけから、
「膳椀どうやった、お借りしたか」
と尋ねます。
「そう、どうやら、お借りして間にあいもうした」
「そうかい、それはよかった」
長者さまは、この問答きいて、"これはふしぎな話じ
ゃ、借りにもこんで、借りたとは、だれが借してやった
のかな"と、心中、おだやかでありません。
そのうちに、村長もくる、みんな集ったので、
「もう、勝手方、御馳走だして、よろしいぞ」
「用意ととのったら頼みますぞ」
すると、村の手伝いの女たちが、膳部を持って、お客
さんにくばってまいります。
見ると、まことに立派な朱膳朱椀に盛りあげた、美し
いお料理。
「なんと立派な膳部じゃが、長者さま家からお借りし
たか」
と、村長が声をかけますと、
「いや、いや」
と、貧しい人が答えます。
「へん、そりゃあふしぎだ」
「そういえば、長者さま家でも見たことのない、立派
な器じゃ」
「料理は、お主が村一だ、これはごちそうじゃ」
「たいしたものじゃ」
と、客たちは、うまい料理をほめるたび、つくづく膳
椀をながめます。
長者さまも、"いったい、この膳椀、どこから借りてき
たのかな。雀の長者か、七山の長者か"と、ふしぎにお
もいながら、うまいお酒によい、御馳走平げて、その日
は、帰りましたが、長者さまは、その膳椀のことが気が
かりでなりません。
ところが、この日の祝事の後というもの、ふしぎなこ
とに、村中の誰も、長者さまの家へ、膳椀を借りにくる
ことがなくなってしまいましたので、長者さまは、ふし
ぎでたまりません。それに、客膳の用意のない家に祝事
がある度に、長者さまが、呼ばれていって見ると、きっ
と、あの見覚えの朱膳朱椀が出てきます。
"いったい、誰が、この朱膳、朱椀の持主なのだろう"
と、いよいよ、ふしぎに思っているうちに、ふと、それ
は、繩池が借してくれるのだということを聞きつたえた
長者さま、ある家で祝事があるのに、その家は膳椀のな
い家だから、きっと繩池に借りにゆくだろう、よし、
つ、どんなふうにして借り出すか、その方法が知りたい
ものじゃと、気をつけておりますと、その家の爺さま、
繩池へやってゆき、

「池の主さん、ちょっくら頼みます。朱塗の膳椀十人前、
お借しくだされ、用済次第おかえしします」
そういうと、池波さわいで、膳椀が、池の上に浮び上
て、汀によって来ます。それを、すくいあげて、池の
繩をひろい、
「この繩も、かりてゆきますぞ」
そういって、繩で荷造りして背負ってゆきます。
「なァんだ」
と、長者さまは、よろこんで、幾日か経つと、大きな
繩を持って、繩池に、膳椀かりにゆきました。
「池の主さん、わしの願い聞いてくだされ、朱椀百人前、
朱膳百人前じゃ、用済み次第かえしますぞ」
すると、池波がざわざわと騒ぎだし、汀に流れ寄る朱
膳朱椀が、なんとおびただしい数で、いちいちすくいあ
げるに、朝から、晩方までかかりました。
「やっと、すくいあげましたが、荷いの繩はいりません
わし、持ってきただ」
と、繩十本に、十個の荷をつくり、用意の太繩に繋い
で、やっこら、そろそろ、やっこら、そろそろと、それ
を引いてゆきました。
「やれやれ、やっと、わが家じゃだが、わしは、期限つ
けて借りたじゃなし、用済には何時なるやら、まずまず
蔵の中にしまいましょう」
と、つぶやいて、蔵に行ってみますと、蔵の扉が開い
ています。"これは、おかしい"と、長者さまが、蔵・
中へはいってみたら、あんなにあった宝物が、がらんと
して、朱椀百人前、、朱膳百人前も、どこへいったか、
影も見えません。
「や、や」
、長者さまは、そのまま腰ぬかして、倒れるはずみ
に、太繩が足にからんで、がらがらと、膳椀をひっくり
かえしました。おどろいて、地べたにすわりながら繩を
引っぱると、ころげてきた膳椀に眼がとまりました。な
んと、その膳椀には、わが家の紋がついてるではありま
せんか。
繩池の池の主は、いつのまにか、長者の蔵を開いて、
宝物といっしょに、長者・家の膳椀まで池ゝ中に運び込
んでしまったのでした。
それで、長者さんは、すっからかんの貧乏人になりさ
がり、やがて滅びてしまいましたとさ。
〔解説)
口碑伝承と違う、記録伝説は、「(前略膳椀を借りたこの里
の土民)その約日に、また、もとの池邊に運び、恩を謝し返
しけるに、ずるずると沈み失せたり。その後、このこと村由
に流布し、人々奇特に信を述べて、用要の時は、この池邊に、
その前日まうでて、明日は何人前お貸たまはれと、ひそかに
祈り、明る曉に行きてみるに、何ほどにても願ひ入れし數ほ
ど、かならず浮き出でありとなり。よつて里人等、呼びて、
家具貸の池とぞ號けける。そののち、一人の朽尼ありて、一
人前かり入れ、十日ばかりもかへさず、終に、中枕二つを損
ひて、不足のままに〓せしが、池浪〓りに荒鳴し、大雨を降
らし、洪水を出し、老婆が屋敷、逆溢に流れ、命もとられけ
るとぞ。そののち、家具をおしみ、いのれども、頼めども、
出さずとなり。ただ、をしむらくは、この瑞品なりけらし。
今は、繭々と生茂して、物すごく、深さは千尋に及び、常に
日影もいたらず梟、松桂の林にかくれ、狐狼の臥戸となり
て、寂莫のところなり」(『北國巡杖記』)と、広さ三百七十
間四方という繩池の膳椀貸し伝説を記しております。
繩池という名についても、膳椀を貸す時荷とする繩によっ
て名づけられたといい伝えております。(別巻「膳椀貸伝説」
参照)が、『越の下草』には、「藤原秀郷、瀬多の橋下龍宮に
頼まれ百足を退治せられし時、龍神何をか報謝せんといふ。
秀郷わが領する越中川上の里里、旱魃をうれふる事なし、こ
ひねがはくは、汝の子女をして一池に住ましめ、その水を護
らしめば、わが大幸また里民の悦び何ぞこれにしかんやと。
龍女速かにうけたまひ、君國に歸りたまはば、その池にせま
く思し召す處に、繩を張りたまふべし。其處に池水を湛へ、
永くわが子女をして池を守らしめ、旱魃なき事を示さんとな
り。秀郷すなはち今の池の所にいたり、教への如く繩を張り
て待たれしに、その夜やがて大雨車軸を流すごとく降り、
夜の中に、この池涌出しけるとなり。雨を祈るに降ること、
その驗著し、毎年七月十五日は、龍女、池上へ出でて遊びけ
るとて、草柴を刈りに山へ通ふ農夫も、愼みて、この日は〓
の方へは行かず、云云」と、繩池の名の異なる傳説を記して
おります。

雀の長者の朝曰夕曰

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