ツラいとか悲しいとかじゃないのに大泣きした話


処女作だから上手く伝えられるか分からないけど

少し長いですが、お時間があればぜひ、、




2022年2月6日日曜日。



私にとって、特に何かあった訳でもなく


まぁ、何でもなかった日で。


強いて言うなら、夕方になるにつれて


明日、学校かぁ


の、誰にでも経験のある

あのちょっと憂鬱な感じがあったくらいの日なんです。


別に、学校が嫌いとか、死んでも行きたくないとか、

そういう深刻なやつでもなくて。

仲いい友達もいるし

なんならもう卒業も来月に控えてて、授業なんて殆ど無いし。

もちろん、家族も普通の家族だし

涙が出るほど複雑だとか、全然そんなことないんです。



今を生きる若者のクセですね、多分。
(自分で言うのも変ですが)

夕飯を食べて、テレビを見ながら、無意識にInstagramのアプリを開いたんです。

私には、去年の年末あたりから気になりだして

最近は所謂"推し"という存在になりはじめた、とあるアーティストさんがいて。

Instagramを開くと、その彼がストーリー(24時間で投稿が消えるつぶやき機能)を更新してて。

割と更新頻度が高い方なので、何も気にせずに彼のアイコンをタップしました。

いつも、こちらがクスッと笑顔になれる投稿が多いのですが


今日の夜更新されたものは、そのいつもとは少し違って。

その画面には、真っ黒な背景に

「noteを更新したので気が向いたら読んでください。」
「嘘。読んで欲しい。」


という文章と、彼のnoteの投稿記事のリンクがあったのです。

noteというアプリは聞いたことありましたが

どんなものということまでは知らなくて。

使ったことすらなかったのに、私はまた無意識にそのリンクをタップしました。

彼が文章を書くことが好きなことは知っていたので

noteという文字と彼の趣味が繋がって

何かブログ的なものなのかなと思ったのかも。


リンク先に飛んだ画面に出てきたのは彼のこんな投稿でした


ここから先の私の文章を読む前に

彼のこの記事を読んでみてください。


彼こそ

私の"推し"です。

詳しい彼の経歴は調べてみてください。


ここで、私のこの投稿のタイトルの本題に戻ります。

なぜ、このなんでもない日に私が大泣きをしたのか

それは、彼のこの投稿を読んだからです。


彼の投稿には、私と同じように彼のことを応援するファンの方の投稿のリンクが貼られていましたね。

その方の投稿には、彼の20歳の誕生日を祝うタイトルとともに

彼から受けたとある影響が綴られていました。


ですが、私が大泣きしたのはその方の投稿ではなく

その投稿に対する彼の投稿の内容でした。


もちろん、そのファンの方の投稿もとても素敵なものでした。


彼のおかげで、自分は大きな一歩を踏み出せたのだと。


そんな素敵な投稿に彼は


本当にすごいのは、

本当に素敵なのは、

貴方なんです。

と返していました。


私は、自己肯定感が低いことは薄々自覚していました。


ですが、別に今を生きることがツラいとか

明日が見えないくらい苦しいとか

ましてや誰かに褒められたいとか

認められたいとか

そんなこと思ったこともないはずなのに

彼のこの一言を読んだ瞬間、目の前が涙で霞みはじめて。


昔から、家族の前で泣きたくない私は

黙って階段を駆け上がって

自室でティッシュの箱を抱えながら、声を殺して大泣きしました。


感動したのか、素敵なんて言われて単に嬉しかったのか

今考えても何で大泣きしたのか自分でも理由はよく分からなくて。

もしかしたら、心のどこかでそう言って欲しかったのかななんて。


誰かはきっと、

そんなの、"推し"が言ったからでしょ

なんて思うかもしれません。


というか、多分その通りなんです。


大好きな"推し"が、綴った一言が

自己肯定感の低い自分に刺さっただけ。

本当にそうなんです。


でも、私にとってその一言は

私の心が少し前を向いたきっかけで。


結局、何を言いたいかというと

会話でしか伝わらないことがあるのと同じように

文字でしか伝わらないものもあるということ。




これから、少し前を向いたこの心のままに

文章を書いてみたくなりました。


誰がこの投稿を読んでるかなんて

個人情報までは分からないし

ましてや、今までの人生で必要最低限の文章にしか触れてこなかった人間の投稿なんて

誰にも見られずに、私しか読まない日記になるかもしれません。


でも、私はこのnoteというサイトに出会って

大泣きして

感じたことを、noteに書いておきたかったんです。


これから続けるか分からないし

続けても、次いつ書くかなんて分かんない。


彼の言葉を、勝手ながら引用するとしたら

私は、彼のように影響のある人間ではないので

彼のように存在しないボールを投げたとしても

受け取ってくれる相手なんていないと思っています。

そもそも、上手くなんて投げれないし。


でも、そんな私の下手くそな存在しないボールを

誰かが形にしてくれれば

きっと受け取りやすくなるはず。


それが、お母さんのスマホを触って、間違ってこのアプリを開いた幼稚園生の子でも

私より何十才も年上の人でも

例え、いたずらでも。


世界は意外に狭いってよく聞くけど

私はそれは違うと思っていて

確かに、私の知ってる世界は狭いですけど

私の知らない世界は、絶対に想像の何百倍も広いはずなんです。


だから、私の知らない世界で生きている誰かに

私の知っている世界を

私の言葉で知ってほしいんです。



誰かの画面でタイトルだけでも見てくれれば

きっと、私の存在しないボールも形になるはず。

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