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しばし絶景①弘文洞跡(養老渓谷)

しばし絶景

無計画にて出かけた旅で
思わず足を止めたことってありませんか?

わたしは結構あって、いやあ~よかったなあと
感動することがあります。
その際は、何回スマホやカメラのシャッターを切ったことか・・・

過去の出会いも含め、備忘録的にまとめていきたいと思ってます。

初回は先日訪ねた千葉県にある養老渓谷温泉郷その1

黒湯の温泉目当てで出掛けましたが初の訪問となります。

養老渓谷案内ボード 「ようこそ養老渓谷へ」

見ての通り、渓谷沿いに神秘な世界が広がっています。
本投稿後半の「養老渓谷旅行組合」のサイトも参考になります。

今回、紹介させて頂くのは

『弘文洞跡(こうぶんどうあと)』

今回の投稿に際し『弘文洞跡』をどう説明しようかと調べた結果
一番シンプルだった表現がこちら↓

大多喜町(おおたきまち)に存在する
川廻しのために掘削されたトンネルの跡

ん?
「川廻し」???

(さらに調べる・・・)

川廻し(かわまわし)は、千葉県上総地方で多く見られる、蛇行した河川を人工的に短絡させて農地に転用する工法である。
         出典:フリー百科事典ウィキペディア

(まだ難しい・・; )


言い換えるとすれば
ひとつの川を養老川に合流させ、もともとの川の河床を水田として利用するために村人が考え、手掘りで開拓した隧道(トンネル)なのです。
140年前に作られました。

当初は人の身長くらいの高さのトンネルだったそうですが、徐々に崩落が進み、昭和54年(1979)5月24日未明に、トンネルの頭頂部が崩壊して今の情景になったそうです。

ちなみの崩壊前はこんな感じ。
大多喜町サイトに写真が掲載されていました。

崩壊前の弘文洞 ※大多喜町サイトより借用させて頂きました。

確かに隧道(トンネル)

投稿にあたり色々と調べましたが、隧道を作ったことをブログや色々なサイトで書き綴っている方がたくさんいらっしゃいました。
とても参考になりました。

現代では当たり前の重機なるものがない時代にクワなどで堀り進めて作り上げたということに
まさにロマンを感じます。

事前に調べてここを訪ねたとしたら、さらに佇んでいたのかと(笑)

お城を作るのもそうですが、人の力、情熱には驚かされます。


と、ここまで書き進めましたが
まだ「川廻し」って理解、難しいですよね。
参考になる1Twitterの投稿がありました。引用させて頂きます。
養老渓谷温泉郷の旅館に飾られた貴重な当時の写真もありますよ。
地図ラーの会にて投稿された方に感謝です。

川廻しの説明イラストに注目頂くと、やっとわかるかな?と思います。
要はトンネル掘って川を繋げて水田を作ったということですね。

ここまでお付き合い頂きありがとうございます。

で、私が佇んだ場所がイラストのトンネルの上側
そこから見た絶景
岩肌の稜線を繋げていくと、丸くつながりそうです。

こちらが しばし絶景① 弘文洞跡 です。

弘文洞跡 2023.3.10   湯じいじ@envspa

 機会ありましたら、是非足を運んでくださいませ!!

興味ある方はこちらを参考に~
癒しのスポット、見どころ満載です。
もちろん黒湯自慢の養老温泉も♨

次回、養老渓谷温泉郷からその2を紹介予定です。
しばし絶景② 二階建てトンネル(養老渓谷)

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