わたしとトランポリンについて。 #2

#1の続き。

園児時代、出場する大会全てで
メダルをもらっていたわたしは
小学1年生になって、
いきなり全日本Jr選手権に連れて行ってもらった。

トランポリンの全日本Jrって、
指定の難度点を超えていれば
その当時はエントリーすれば誰でも出られたの。
(一部予選会がある都道府県もあった)

小学生低学年、高学年、中学生
の3部門に分かれていて、
それぞれ個人、シンクロ、団体があった。

個人もシンクロも出場して、
さらに1チーム4人で組む
団体のメンバーにも入ることができて。
団体は3年生3人とわたしの4人。
前回も言ったけど、名門クラブだったから
団体は無敵だったらしく
初全国大会にして初優勝できた。
(4人3採用なので
もちろんわたしの点数は入っていないのだけど。)

初めての全日本Jrがどんな大会なのか
いまいちわかっていなかったわたしは
緊張とかもしなかったし、
よくわからないまま大きな会場で演技して
メダルまでもらって、なんだこれって。

けど1年生で団体に入って、優勝までして、
やっぱりあんまりよく思わない2年生とかがいて。「優勝できたのはあなたの頑張りじゃないからね」
って、嫌味を言われたり。

それから練習に行く日も増やして、
たくさん練習していろんな技もできるようになって
どんどん上手になっていったんだけど、
いつからか、
「優菜ちゃんだけ上手くなっててずるい」
って言われるようになった。
みんなが同じように上手くなっていかないとだめ
って。スポーツなのに???競ってるんじゃないの???

純粋にトランポリンがもっと上手くなりたい!
と思ったわたしは、
コーチが移籍することになり、
じゃあわたしもコーチに付いていきますって
移籍したのが2年生の時。コーチ大好きだったから。
それが大学生までお世話になったクラブ。

ただ、一緒に移籍したコーチは
わたしが3年生になるときに
家庭の都合で他県のクラブに
行くことになってしまって、
じゃあ俺が優菜を育てる!と登場したのが父。

これがわたしと父の二人三脚のスタート。

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