グラフィックデザインにおける「次元」への課題とその解決策

前回、受注脳に陥りがちなデザイナーが、自分発信で個展をする意味をどこに見出すのかという葛藤と、どのような思考でそれを打破したかの記録を書いた↓
グラフィックデザイナーが個展をする意味をずっと考えていた

簡潔にいえば、受注脳であるデザイナーの思考を逆説的に利用し、グラフィックデザインというジャンルそのものをクライアントに見立てることで、それを突破するという方法をとった。そして、『GRAPHIC IN PROGRESS』と銘打ったグラフィックデザインの研究を、ライフワーク的に進めることにしたのだ。

今回は、その第一回として開催した『DIMENSION』において、親愛なるグラフィックデザイン氏に出した処方箋の内容について記す。

「分かって欲しい」ではなく、きちんと説明をする

まず前段として、徹底的にこだわったのは、グラフィックアートではなく、あくまで「デザイン」という視点で、展示を遂行するということだった。
それは、「何かを感じてほしい」という「解」を人に委ねる方法ではなく、すべてを必然として定義づけていく姿勢ということだ。そのために、作品に使用する要素をバラバラに分解し、ひとつひとつを分析。その要素を使用するに至るまでの思考と、何故それを使用したかのプロセスを入れ込んだタブロイドを制作し、公開。現場で配布することにした。これはデザイナーの展示としてはマストの作業だと自分は考えている。

「言わない」ことで価値をあげようとすることは往々としてある。主にアートの文脈で多用される。なるほど、「問い」を原動力とするアートにおいてそれは良いかもしれない。しかし、「解」を与えることこそがデザイン的手法の体現であることを肝に命じておかなければならない。特にこういったノンクライアントの仕事(厳密にはグラフィックデザイン氏のためではあるが)で、主観に陥らないためには、そこを徹底する必要がある。

余談だが、アートという業界は、そこがもったいないと思う。もっと現場で自分のコンセプトを説明すれば、ただ「分からない」で済まされることはない。それを「分かる人だけ分かればいい」と思っているとしたら、それは怠慢だろう。「分からないこと」で価値を上げようなんて、よもや考えているアーティストがいないことを祈る。
中には「コンセプトレスがコンセプトです」というような作品もあると思うが、それならそれでなぜ自分がコンセプトレスに辿り着いたのかを語ればいいのだ。リテラシーをあげる努力は業界全体でするべきだ。それではいつか時代に取り残されてしまう。

「デザインは、どこまでいっても情報でしかないのではないか」という仮説

話を戻そう。果たしてグラフィックのどこに問題を感じていたか。
すぐに思いついたのは、以前JAGDA(日本グラフィック協会)のカンファレンスでグラフィックデザイナーの服部一成さんが言っていた話の内容だった。概要はこうだ。

『以前、招致されてスペインの美術館でアーティストに混じって展示をしたことがある。その時声をかけてくれた保坂健二朗さん(キュレーター)の采配が素晴らしかった。彼はデザイナーのことを分かっていたので、僕に展示場所として廊下をあてがった。その廊下には窓があり、光が差し、ノイズがあったので、それをとっかかりに発想をすることができた。真っ白なホワイトキューブをあてがわれていたら、僕は本当に困っていたと思う。』

ここまででも十分発見はあるのだが、面白いのはここからだった。

『アートは物なので、単純な色面だけの作品でもホワイトキューブの空間を支配できる。だが、グラフィックデザインの作品ではそうもいかない。』

ご丁寧にオプ・アート(平面上に幾何学的な色面を配置しただけのシンプルなアート)と佐藤可士和のsmapの色面だけでできた広告を例に出して説明をしていただいた。

これは衝撃だった。つまり、暗にグラフィックデザインの成果物には「物性」がないと言っているようなものだ。
しかし自分はそれで、これまで数々見てきたデザイナーの展示に対する合点がいった。たとえば、グルーヴィジョンズは木の板に印刷してそれを置き、菊池敦己さんは立体物を配置し、横尾忠則さんはカラーコーンを置く。それは見方を変えれば、足りない物性を補い、ホワイトキューブに対抗するための手段であるとも言えるのだ。
そう、なんとあの横尾さんの超絶ハイクオリティなポスターでも「物性」を発生させるには至らないのである。横尾さんの絵画作品ならいざ知らず、グラフィックデザインであるポスター作品では、ホワイトキューブに置いてある場合、十中八九アート作品の存在感に押しつぶされてしまう。
ここで自分が思ったのは、グラフィックデザインはどこまでいっても情報でしかないのではないか。ということだ。しかしその考えを進めれば、自分がグラフィックデザインとして勉強してきた「ポスターは2次元ではなく、薄い3次元である」という常識すら、嘘になってしまうのである。
では、何故そういった現象が起こるのか?

「印刷」によって分解される「痕跡」という多大なる知覚情報

産業革命以後、グラフィックデザインは大量生産と親和性が高く、一気にその需要を拡大してきた。
そう、「印刷」こそが、グラフィックデザイナーの最もベーシックな技術となり、それを如何にうまく扱うかが争点になってきたのである。それは盲目的である。というほどに。(現在では、如何にうまく印刷をするか。という点のみで争っているような制作物ですら多く見られる..)

しかし、ここで先ほどの「物性」の問題と照らし合わせて俯瞰して考えるに、どうやらその印刷というプロセスに物性を損なう理由があるようだ。
つまりは、印刷というプロセスを経ることによって、一度全ての要素が平等に分解される。写真であろうが、絵の具であろうが、立体物であろうが。人を介した時間や空間の「痕跡」が取り払われ、限りなく薄い一枚の情報としてのみ存在を許されるのである。
一度全ては、さながら人間の耳では感知できない周波数をカットされた音楽のように、「情報」として処理をされることになる。そうして、その一度情報を抜き取り軽くしたものの上から、デザイナーは好きなように「印刷」という技法を駆使して情報をトッピングで乗っけ出す。箔を押したり、UVインクで厚盛りをしたり。しかし、それは「再現可能=つまりは、大量生産」を前提とした「機械が乗っけた人工の情報の痕跡」なのである。

グラフィックデザインとは、必ずしも印刷機を通すものではない

どうやら、「物性」を紐解く鍵は「痕跡」にありそうだ。そこで自分は、印刷というプロセスを手作業で再現することにした。と、言っても簡単だ。素材は最もアナログな表現手法、「絵の具」である。
しかし前述のように、この展示の主たる目的は、アート作品の展示ではない。あくまでグラフィックデザインだ。それには「設計」というプロセスが外すことはできない。
考えてみれば当然のことだ。デザインの本来の意味は「設計」。つまりこのプロセスさえ踏めば、特段印刷という手法にこだわりを持つ必要はないのである。 もっと言えば、「大量生産」すらも、本来的な意味と結びつくものではない。

それでも、ベースには写真を印刷して使用することにした。見る側に分かりやすいよう、最低限の配慮だ。そもそも斜め上の思考をしているのだから、表現としては明瞭でなければならない。これはデザイナーとしての自分のこだわりだ。
モデルの体全体に絵の具を一色塗りたくり、撮影する。そしてその写真を印刷した上から、さらに絵の具を塗る。これは手作業だ。しかしその塗り方には、「こうなったらいいかも」という願いは一ミリも込めない。それはひとえに、すでにどう塗るのがデザインとして美しいバランスかをMac上で何度も検証済みという事実に拠る。もうすでに設計図はできている。あとは、それを再現するために、違わずに塗るだけだ。

それは印刷機を通すのと、どこが違う。

仕上げは額などは使わず、アクリル合板と圧着させることにした。額というのは、一番簡単に物性を生み出す道具だからだ。それでは「次元」に対する検証にはならない。とにかくなるべく薄さをキープし、それでいて反ったり湾曲してはならない。それには永年その姿を変えないアクリル合板がピッタリだった。

そうして準備は整った。

以上の8点が、今回検証した「次元」に対する成果物だ。といっても、WEBにあげている時点で本来の物性の検証を確認するすべはないのだが。

今回僕がグラフィックデザイン氏に突きつけた問題点と解決法は、以下のものだった。

問題点 : 3次元の要素を一度2次元にする際に、失われているものもあるのではないか?
解決策 : 印刷というプロセスを経ないパーツを残すことによる、2次元情報化の抑制

問題点 : グラフィックデザインに物性がないのは見方によれば欠点ではないのか?
解決策 : アート作品に負けない物性を得るために、「痕跡」というファクターを使用

問題点 : グラフィックデザイナーにとって印刷は、思考のリミッターになってしまっているのではないか?
解決策 : 印刷機はあくまで道具の一つであるという概念の提唱

クライアントがグラフィックデザイン氏という途方も無いものなので、現時点でのこの解決策に異論を唱える人もいるかもしれない。
もしかしたら根本的に間違っている可能性すらある。しかし、考えが間違っていても構わない。

それでも、やってみる。そうでもしないと、「グラフィックデザイン」そのものの枠組みを押し広げることはとてもできない。
あーだこーだ言って欲しい。異論を唱えて欲しい。そうして、考えてみて欲しい。疑問を生み出すことができたのなら、こんなに嬉しいことはない。

自分はグラフィックデザインに育ててもらったという実感が大きい。それに対する恩返しができるとすればそれは、「グラフィックデザインとはなんだろう?」という根源的な問いを考え続けることだと思う。

以下で上記の展示作品を販売しています。   

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YU MIYAZAKI

フリーランスのグラフィックデザイナー宮崎悠の仕事や思想についての記事をまとめています。
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