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コミュニティから会社へ それからプラットフォームへ - 301という会社のこと

自分はフリーランスのグラフィックデザイナーの他に、301という会社をやっている。だが、そちらについては他の人に任せきりで、自分がどっかにまとめて書いたことはなかったので、どういう組織なのか紹介がてら、書いてみることにする。

家主も知らない人が大勢出入りする謎の301号室

もともとは恵比寿にあったマンションの301号室が社名の由来だ。その部屋は2、3人のシェアハウスだったのだが、僕が知った時には既に謎のコミュニティが形成されていた。鍵を持っている人間が20人以上いて、家主もいないのに週末、勝手に大勢がご飯を作って食べている。全員が家主と友達かと言われればそうでもない。「はじめまして」の人もザラだった。

僕がそんな変なコミュニティを知ったのは、社会人2年目のこと。
その頃まだ広告会社のデザイナーだった僕は、早くも会社の仕事に飽き飽きしていて、自主的に何かを作ったり、賞向けに作品を出したりをしていた。足を動かしてないと沈んでしまうような気がしていたからだ。

そんな折、いくつかの賞にひっかかったことが社内でも告知され、やる気のあるデザイナーに見えたのか、コピーライターの先輩に、「友人がランニング企画を立ち上げるのだけど、そのロゴを作ってくれない?」と頼まれた。
自主的な仕事に飢えていた自分は2つ返事でOK、その週のうちに301号室に向かうことになった。

イベントではなく、カルチャーを作りたい

その部屋はリビングだけで30平米くらいだろうか。ハンモックが吊られ、謎の写真やコピーが壁に貼られている。その部屋に足を踏み入れ、現在の301代表である大谷省悟を始めとしたメンバーと打ち合わせを始めた。冷蔵庫には彼らがアマゾン川で釣ったというピラニアの魚拓が貼られていた。

その時の企画は「MIDNIGHT RUNNERS TOKYO」というもので、深夜24時から六本木や渋谷を、健康目的でもアスリート的な記録目的でもなく「ただ走る」というものだった。月1、2の頻度で開催し、ひいては100名集めたいという。終電も終わったその時間に、そんなクレイジーな人間が100名もいるものかとその時は思ったが、1年の後に150人までを集めることになる。

その時に大谷が言ったのが「こういったイベントを作りたい」ではなく、「こういうカルチャーを作りたい」であったことが、自分の中で興味をひかれるきっかけとなった。

恵比寿のベランダでカヌーを作っている人たち

打ち合わせもひとしきり終わり、帰ろうと思った時にチャイムが鳴る。どうやら宅配便のようだった。
そして次々に室内に運び込まれるのは、木材。木材。
これは何に使うのか?と尋ねると、「今からベランダでカヌーを作ろうと思って」という返事が返ってきた。「???」
カヌーを作ってどうするの、と聞くに、「ユーコン川に浮かべたい」「?????」

どうやら、カナダのユーコン川で行われるカヌーのイベントに、自作のカヌーで参加したいとのことだった。
「一緒にやりたい?」「いや、大丈夫」

それから打ち合わせに行くたびに、恵比寿のマンションのベランダいっぱいに広げられたカヌーが、徐々に形作られていくのを見ていた。

勝手にできていた共創空間

そんなクレイジーな様子に興味をひかれ、「301」に出入りするようになったのだが、そこには本当に色々なひとたちがいた。
業界や職種も様々で、大手、ベンチャー、スタートアップ、金融から制作、営業からエンジニア、官僚もいれば、そもそも何してんのか分からないやつ。性別も年齢も様々だ。そんな連中が自分ちのごとく「301行こうよ」「誰かいる?」「近くきたんで」と集まり、思い思い勝手に飯を作ったり、企画をしたり、打ち合わせをしたりして帰っていく。
皆、己のできるスキルを平気で提供するが、全員が無償で行なっていた。そこには「ただ、楽しいから」というお金以外の価値基準が働いていた。

今、大手企業が必死こいて作ろうとしている「共創」空間を、自然と体現していたのだ。
また、現在のメルカリやAirbnbなどは性善説に基づいた事業を展開しているが、ここでもそういった空気が自然とあった。先の鍵の話もそうだが、冷蔵庫の上には無造作に金庫が置かれ、酒や飲み物を買っていく。払うのを誤魔化すことはいくらでもできるはずだが、誰もそんなことはしないし、置いている側もそんなことは起こりえないという体でいる。

それが2011年前後のことなので、かなり時代の空気感を先取りしたコミュニティだったと思う。そして、3年ほど続いた後に、その部屋の解散とともにそのスペースはなくなった。

スペースからコミュニティへ

そんな折に僕は会社を辞める。次の就職先などを決めてから辞める人が多かった時代、僕は何も決めずに辞めた。今でこそ説明はできるが、当時の自分としては、ほとんど本能的な感覚だった。

「会社員」という働き方が向いてないと思ったのだが、向いてなかったのはその時の「会社一本」しか許されない閉塞的な働き方だろう。最近は個人やスタートアップが市民権を得て息がしやすくなってきた。
とにかく僕はフリーランスのグラフィックデザイナーとして働き始めた。

そして301という場所は消滅したが、コミュニティは残っていた。スペースがあった頃の混沌さはなかったが、関係性が先にあり、プロジェクトを作るという流れはまだ残っていた。

この頃になると、『MIDNIGHT RUNNERS TOKYO』は150人を動員(スピンアウトの鹿児島では400人以上も)するようになっていて、別企画『MORNING PARTY』も100人以上、メトロミニッツやR25、J-WAVE、はてはNHKなどのメディアにも露出、企業とタイアップすることなども多くなってきていた。

その流れがあったので、先の大谷と僕、あと2人に声をかけ、301を会社として動かすことに決めた。社名も色々考えたが、意味を色々後付けるのもかっこ悪いと思ったし、ただそこにあったからそれを使うというやり方も好きだったので、そのまま「301」とした。もはや301号室でもなかったが。

縦軸の仕事の連鎖を横軸にリデザイン

会社にした当初から301は、広告や制作以外の働き方を模索していた。広告をバックボーンにもつ僕や大谷は、大手広告会社のやり方に限界を感じていた。大手代理店などは、関わる人も多いので、基本失敗ができない。だから、「これから」を作る可能性のあるスモールプレイヤーではなく、既製品である有名人などを起用する。そこには先ほどの「性善説」が乗り越えられない高い壁があった。

また、広告の仕事では基本クライアントが偉い。その構造に旧時代的な匂いを感じ、縦軸に落ちてくる仕事ではなく、コミュニティで培った横軸の繋がりに、仕事の仕方をリデザインしたいと考えていた。

円卓を囲うように平等にクライアントと話し合う、そんな働き方はできないものか。当時は今の社会の気風がそうなることなどを予想したわけではなく、単純に自分たちのためにそれをやろうとしていた。

アウトプットのみでは才能は枯渇する - 戦略的に休むこと

そのため最初から、大した資本金もないのに表参道の一室をリノベし、シェアオフィス事業やFUSE MAGAZINEというWEBメディア事業も立ち上げた。ハナから儲ける気もそんなになかったのである。そんな姿勢が見えたのか、去る人は去ったし、共感し、新たにジョインしてくれる人もいた。

仕事先はすべてもとの301のコミュニティから。僕も大谷も、多分セオリーだった「前の会社から仕事をもらう・持ってくる」といったことは一度もしなかった。黎明期は特に混沌としていて、1年くらいは給料も出ず、昼夜関係なく働き倒した。

それにより、大谷や他のメンバーも体調を崩すことになり、そもそもこんな働き方がよかったんだっけ?と考え、働く環境のデザインに深く興味をもつことになる。長く働くのが偉いとか、そんなことはもう前時代的だ。そもそもそれではインプットの時間がとれない。才能も資源なので、それではいつか枯渇することになる。

それに仲良くなった代々木八幡のレストラン「PATH」が1年目から1週間も全員で夏休みをとったことに触発され、夏休みがとれなかった1年目の自分たちを恥じ、301も2年目から2週間の夏休みをとることに決めた。

バラバラではなく、全社一斉に休むことはこだわりだ。
結局一度仕事の流れを止めないと、連絡がきたり何かに追い立てられることになる。これは難しいようだけど、ちゃんとクライアントに「休むよ」とあらかじめ伝えれば面白いくらい分かってくれたし、案外簡単だと分かった。そしてこの「戦略的に休むこと」はかなりの効果をあげることになる。余暇によって生まれた発想が新たな企画になることも起こり続けている。

本当はエルブジのように半年くらい休みにしたいのだけれど、それはまだ先の話だ

自主企画『THE OYATSU』による転機

仕事は企画のみならず、企業や店舗などのブランディングやスキームを作ることが多くなってきた。大本のコンセプトを大谷が書き、自分が制作としての落とし込みを実行する。そんな流れで仕事を作れるようになってきた。
そして、先の理由から相性がいいのは「何かを立ち上げる」「リブランディングする」というタイミングであることも分かってきた。
クライアントは相変わらず友達が多かったが、この頃には逆に「クライアントと友達になる」ことも増えてきた。

また、かつての『MIDNIGHT RUNNERS TOKYO』などのように、自主企画も進めていた。『THE OYATSU』という企画だ。毎月才能豊かな「食」のスモールプレイヤーたちに、それぞれの分野の「OYATSU」を作ってもらうというシリーズ企画だ。

ルールはただひとつ。フレンチだったらフレンチ、和食なら和食と、自分の分野の思想をその一品に込めること。あとは自由に考えてもらう。しかし対象はあくまでおやつであるので、わかりやすくカジュアルダウンすることが必要となる。301側も受けるシェフ側も、かなりのクリエイティビティが必要となる企画だった。

この『THE OYATSU』を企画をしたことによって、食の繋がりや知識も増え、飲食の相談も仕事として多くなっていく。自主企画から仕事を生み出すというこのフローは、とても301らしい仕事の仕方だったが、同時にもはや自分たちは制作会社なのか?という疑問を生むことになる。

301とは何者か?

そんなわけで、この頃は自分たちのできることを言語化するのに躍起になっていて、301のコアバリューをどこに置くか。という話ばかりしていた。自分たちのミッションは何か?自分たちは何者か?

その答えは未だ変化し続けている。(変化することは悪いことではない)
だが、もともとの301のバリューは、誰もがふらっと寄れて、主体者もいないが、そこではみんなが自分のしたいことを作れる場であったはずだ。その状態に戻すことが、一番自然で良い形なのではないかと話し合った。
つまりは、会社やチームであることすら実は不自然で、「プラットフォーム」として機能することが一番301らしいと言える。

Facebookやtwitterなども、誰かが管理しているわけではない。ザッカーバーグですら1ユーザーだ。だが、みんなが勝手に思い思いの行動を起こしている。そんな場をリアルに作り、かつての301号室のように「したいことを持ち込めば、それが実現できるメンバーが自動的に寄ってくる」プラットフォームを意図的に作れれば、そんなに面白いことはない。

そのために今現在僕らが画策しているのは、301のオフィスの解体、飲食店化だ。自社オフィスで「いつでも来ていいよ」と広く招いてみても、やはりオフィスだと理由がないと来づらいのだろう、ダメだった。
シェアオフィスもやってみたが、コミュニティはある程度広がるものの、やはり限界があった。管理する側とされる側の意識の違いも大きい。

誰もが自由に、目的もなく来れて、フラットにテーブルを囲みながら話ができる、それには飲食店というフォーマットが一番いい。「オフィスに飲食機能をつける」なんてことはクリエイティブ業界の界隈でもポツポツやられてはいるが、全部飲食店にしてしまうところは他にはあるまい。

プラットフォームという意味ではweworkなども近いかもしれない。だが、僕らは「work」に特化したいわけではない。遊ぶように仕事をし、仕事をするように遊ぶのだ。それには「welife」という捉え方の方が近い。

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思いの外長文になってしまったが、そんなこんなで301の遍歴と、どんなことを考えてきたかをつらつらと書いた。
昨今「働き方改革」と叫ばれているが、既存の社会の枠組みに「ハマれなかった」天然ものの人間たちが作ったヤベー会社であることは間違いない。

そんな301では、今人材も募集している。
共感してもらえた人は、ぜひ一度下記までご連絡を下さい↓


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宮崎悠 / GraphicDesigner

301 Inc. CCO / Directorとして新しい働き方やクリエイティブプラットホームを設計。 並行してフリーランスのグラフィックデザイナーとして活動。コンセプトや気分を視覚情報に翻訳・要約する。 www.y-myzk.com / www.301.jp

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