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ただ「書く」ということ

今とても楽しみに読んでいる連載がある。フリーライターのマツオカミキさんと狩野ワカさんの交換ノート企画。

タイプは違うんだけど似た部分もお持ちの二人のライターさん。そうなのかと新しい視点をもらう部分や共感する部分、毎回読んで色々なことを思うのだけどその中でも一番印象的なのが『第二回「どうして書くんだろう?」』この記事の中に出てくる以下の言葉だ。

じゃあ、なんで書くのかというと、もう「書きたいから書く」としか言いようがなくて。誰が聴いてなくても歌を歌うのは気持ちいいし、上手に歌えると気分がいいのと一緒。

これを読んでハッとした。私も歌うように書くのが好きだ、いや、好きだった、のかもしれない。過去形になってしまうのはここ数年あまり書けないでいたし、書きづらくなってしまっている自覚があるからだ。いつからかか役に立つものを書かないといけないようなそんな強迫観念にも似た気持ちがあったんだとわかった。気が付かない間にそうなってた。この言葉を聞いてああ、書くだけで、それでいいんだってとてもうれしくなった。

そうだ書くことが好きだったんだ。ただそれだけだったんだ。インターネットに自分が書いたものを公開し始めた頃を思い出した。日記サイトを借りてなんでもない日常だったり、好きなものの話をただただ書いていた。実は自分でも何度でも読み返してたまに思い出したことを追加して、些細な言葉尻を直して、見てる人なんて誰もいないかもしれないけどそれでもだんだん完成に近づく文章が嬉しくて読んでは書き足していた。

それがいつからか「役に立つ」ものを書かないといけないようなプレッシャーが加わっていた。なんでもないものは読んでもらう人に悪いと思っていって、書きかけてはこんなもの公開してもと下書きが増えて、そのうち下書きすらなくなっていった。

なんでもないことを書かないでいることは。何か物足りなくてつまらなかった。

記事を読んではっとして勢いで書き始めたのに結局これだけの文が完成するまでに2週間近くかかった。夜な夜な書いていたころとは大違いだ。完成させた文章の先にしか見えない景色があることも思い出せてきたのでこれからはもっと自分のために書いていきたい。

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