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激人探訪 Vol.17 NOV~"叫ぶスタイル"を辞めようとは思わない~

どうも皆さん、YU-TOです。

先日、自分が在籍するTHOUSAND EYESのライブがあった。

出演したイベントは、川崎クラブチッタで開催された"METALLIZATION Ⅱ"

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バンドとしても個人としても、約10ヶ月ぶりに行う久しぶりのライブである。

約1300人収容の会場で150人のみが来場出来るという、かなり厳しい人数制限を設けた上で開催されたイベントでのライブ、、まあ、このご時世ならば仕方がない。

今年はもう全くライブの予定は入っていないし、来年のライブスケジュールも、まだ今の時点では白紙の状態だ。

少々大げさに言ってしまうと、自分がドラマーである事を忘れてしまいそうになるくらい、ライブをしていない日々が続いている。

例えライブが開催されても、かなり制限が設けられた中での開催で、正直に告白すると実際にステージに立つまでは、「こんなライブ、演る意味あるのか?」という思いに度々駆られていた。

しかし、実際ステージに立ってみると「演れて良かったな」と心から感じられた自分がいたし、自分にとって忘れられない、感慨深いライブの1つになったように思う。

この日のライブに対して、自分がそう思えたのには2つの理由がある。

まず1つ目は、モッシュも、ダイブも、叫んで歌う事も、歓声を上げる事も、話す事も許されないという、メタルのライブにとっては致命的とさえ思える規制が設けられたライブにですら来てくれる、本気で"メタル"という音楽が好きなお客さんの顔が観れた事だ。

ライブ中に思わず規制を破って歓声をあげる人。

拳を突き上げてくれたり、その場は動けずともヘッドバンキングなどの体の動きで自身の感じる熱をステージに向けて表現してくれる人。

感慨深い表情でステージを見つめる人。

いつもより人数は少なかったかもしれないが、そんな人達の表情をリアルに観れた事がとても嬉しかった。

本当にこの日のライブは、「ああ、自分の演ってる音楽はこういう人達に支えられているんだな」という事を強烈に実感出来た、自分にとってとても実りのあるライブになったように感じている。

この記事を読んで下さっている方で、もし当日観に来てくれた方がいたのならば心から感謝を伝えたい。

本当にありがとうございました。

そして2つ目の理由、それは、この日のラインナップにVOLCANOの名前があった事だ。

この日、VOLCANOとの対バンが実現すると知った時、「ああ、いよいよこの日がやって来たか」と、いつになく胸が高鳴った。

自分が加入前の話ではあるが、VOLCANOはTHOUSAND EYESと北海道ツアーなども行っているし、THOUSAND EYESのベーシスト、AKIRA氏がVOLCANOのベーシストでもある事は、これを読んでいる皆さんは恐らくご存知であろう。

そういう点から、VOLCANOは非常に近しい存在のバンドであったが、自分がVOLCANOとの対バンを待ち望んでいた理由は他にある。

それは、今回のVol.17のゲスト、NOV氏がVOLCANOのボーカリストを務めているからだ。

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NOV氏と自分が出会ったのは約14年前。

この激人探訪で幾度となく名前が登場している、自分が通っていた音楽専門学校、MI JAPANで"講師と生徒"という間柄での出会いであった。

MI JAPANでのNOV氏は、とにかく生徒と同じ目線に立ち、全く"講師"という壁を感じさせない人であったように思う。

ハスキーな声質の関西弁でよく喋り、俗に言う"オヤジギャク"を生徒にかまして時に失笑を買うなど(笑)年上ながらも親しみやすい人柄で、NOV氏を慕う生徒は当時から本当に沢山いた。

そんな人柄ゆえ、自分を含めた生徒全員がリアリティをあまり感じられない事実ではあったが、NOV氏は国内メタル・ロックシーンの黎明期を作った人物と言っても過言では無い。

取材時にNOV氏も語っていたのだが、若かりし頃の彼がバンドマンとして駆け抜けた80年代〜90年代前半は、"バンドをやるのに気合いがいる"という時代。

"とにかく過激に"という、暴力性の塊のようなシーンで揉まれ、そんなバンドの"顔"としてステージの最前に立ち、1つの時代を作っていった稀代のメタルボーカリストが"NOV"という人物なのだ。

数々の日本を代表するバンド達がNOV氏や、彼が在籍していたバンドからの影響を公言し、自分の周りでもNOV氏から影響を受けたと語るミュージシャンは数多く存在する。

今回の取材でNOV氏が話してくれた事は、同じ時代を駆け抜けた激人探訪 VOL.9のAKIRA氏の回と同様に、さながら"国内ロック・メタルの歴史書"とでもいったような内容であった。

約半分は、とてもじゃないがここには書けない話であったものの(笑)NOV氏が歩んできた道や音楽への考え方は、今の時代であるからこそとても新鮮で、逆に現代の音楽シーンが失いかけているものを思い出させてくれる貴重な話が沢山あったように思う。

NOV氏は今年でキャリア35年。

紆余曲折ありつつも、長年に渡ってその歌声(シャウト)をメタルシーンに響かせ続けてきた。

そして、それが現在進行形である事を先日のVOLCANOのライブを舞台袖で観て体感し、「やっぱり、この人スゲーな」と心底感じた。

ただ、NOV氏は本当にいつだって変わらない。

自分のバンドでステージに立っている時も、MI JAPANのアンサンブル授業で歌っている時も、普段話をしている時もNOV氏はNOV氏で、そこに妙な体裁も無ければ取り繕いも無い、あくまで自然体でステージに立ち、シャウトを響かすメタルボーカリストだ。

しかし、そんな自然体な姿勢でも、その持ち前の存在感で何だかんだで誰にも負けないくらい観客を沸かせてしまう。

初めて現場でNOV氏が歌っている姿を観て、自分はそう感じた。

今回の激人探訪では、そんなNOV氏が今までどんな道を歩んできて、今日までメタルボーカリストとしてステージに立ち続けられてきたのか、そして、この35年という長い期間、彼を音楽に突き動かし続けてきたものは何であったのかを、皆さんにお伝え出来ればと思う。

一部、バンド名を伏せなければならない部分もあるが、そんなところも楽しみつつ、読んで頂けたら幸いである。

第1章 潰れた声が招いた1本のカセットテープ

NOV氏自身も様々なところで公言している通り、小学校〜中学校時代まで、彼は野球少年であった。

少年時代のNOV氏は音楽とは全く無縁の生活を送っていたらしいのだが、最初それは野球においても同じであったという。

小学5年生の時に、親父がグローヴ持って「公園行こう」って言ってきて。最初はキャッチボールするのかと思って、「おう、行こか〜」って近所にある"緑地公園"っていう芝がいっぱいある公園に車で一緒に行ったら、それがリトルリーグのテストやったんや(笑)何か親父が紙に記入してて、「何してんの?」って聞いたら「今からお前、テスト受けんねん」って、、、。もう、「はぁっ?!」って(笑)それで知らない男の子とキャッチボールをし、遠投し、フリーバッティングとかもあって、それで何か合格してしまってリトルリーグに入る事になってな。そこからもう、土日はずっと野球の練習。

半ば、お父さんに強制的に始めさせられた野球であったが、どうやらNOV氏には才能があったらしく、メキメキと頭角を現し始める。

最初は嫌やったと思うねん。「同級生と遊びたいねんけど!」みたいな。でも、やってたら何かすぐにレギュラーになれて、小学6年の時に俺のチームが関西で優勝しちゃったの。それで、「あれ、、俺、プロ野球選手!?」って思って(笑)それで中学校に入ったらシニアリーグにそのまま上がって、そこから「俺はプロに行くぞ」と。もう、"中学の時はシニアリーグ〜高校になったら甲子園〜ドラフト指名されてプロ野球選手"っていうシナリオがもう中1の時には頭の中で出来てて。最初の中1、中2は先輩がおるからレギュラーにはなれへんかったけど、中3になったらもうレギュラー。それで、今度は春の関西大会で準優勝しちゃって、「やっぱり俺、プロやな、、!」って思って(笑)そこからある意味、本格的な野球少年になっていったんかな。

プロの世界を視野に入れ、ここから本腰を入れて野球をやっていこうと決意したNOV氏であったが、中学3年の夏には周囲との身体的な差が生まれ始め、早くも自身の限界を感じ始めていたという。

春の大会では優勝出来たんやけど、夏になっても、まず身長が伸びない。それで、中学2年の後輩がどんどん上手くなっていって、レギュラーやってんけど、たまに交代させられる。もうそこから段々と「あれ?おかしいな、、俺、野球下手になっていってる気がする、、」って感じ始めて。それである日の試合の4番バッターで、むっちゃデカい奴がおって。俺、センター守ってたんやけど、もう簡単にホームランを打たれてしまった。そのホームランを目の当たりにした時に、「ああ、こういう人がプロ野球選手になんねんな」って思って「辞めよう」って(笑)。それで、その相手が清原(訳注:清原 和博)やった。だから後で考えたら、その時にめっちゃ凄い奴を見てしまったというか、、。本当に「うわぁ〜、、」って思った。もうスーパースターやん?だから清原に出会わなかったら、俺はプロ野球選手になっとったかもしれん(笑)

後にプロ野球界を席巻する事になるスター選手の実力をまざまざと見せ付けられたNOV氏は、野球部を早々に引退。

野球への情熱を完全に閉ざしてしまったNOV氏は、野球部の無い公立高校に進学し、友人の誘いで今度はサッカー部に入部する。

ちょうどワールドカップが開催された年という事もあり、今度はサッカーに情熱を注ぎ始めていたNOV氏であったが、この年の秋、彼の持つある特徴がクラスメイトの思わぬ勘違いを引き起こしてしまう。

高1の時に、同級生でギター演ってる奴がいて、そいつの彼女が俺と同じクラスでな。その彼女が俺の、この小学6年の時に潰した声を歌で潰したと勘違いして、「歌を歌ってるっぽい奴がいる」ってそのギター演ってる奴に教えたらしいねん。

ライブでのMC等でご存知の方も多いと思うが、NOV氏の声は普段からハスキーで、この声質でのあの歌声こそが彼のボーカルスタイルの代名詞とも言える。

この特徴的な声が出来上がった、、と言うよりは、"出来てしまった"要因は野球での過度な声出しによるもので、NOV氏はその時の事を未だに覚えているという。

もうはっきりと覚えてる。週末に必ず野球やってて、ある日学校に行った時に、声が"あ゛〜"ってなってて。「うわぁ〜、昨日声出し過ぎたな〜」って思って過ごしてたんやけど、もう何やっても治らんくて。それで「何か変や」って思って耳鼻咽喉科の病院に行ったの。そしたら「ああ〜、やっちゃったねー」って言われて。「えっ?何すか?」って聞いたら、「これ、治らないね。変声期だよ」って言われて。何かよう分からんかったけど「変声期に声を出し過ぎて喉が腫れてて、元の声には戻らない」って言われて。もう「うわぁ、、」ってなったな。そんな声で中学時代を過ごしてて、もう友達の家に電話掛けて「あっ、ノブですけど」って言っても、「えっ野田くん?」とか言われてしまったりで(笑)「いや何で伝わらへんねん!」って。そこから"俺の声は人に伝わらない"っていう、自分の声に対するコンプレックスを持ち出したの。

そんな自身にとってのコンプレックスが、その後のNOV氏の人生を大きく変えるきっかけと彼の最大の個性になろうとは、この時のNOV氏は夢にも思わなかったであろう。

本当に、人生とは何がきっかけとなって物事が動いていくか分からないものである。

そして、当時のNOV氏がコンプレックスに感じていた声が生み出した、"歌を歌ってる人"という大いなる勘違いが、彼を全く未知の世界に引き込む発端を作っていく。

それで、いきなりその勘違いした女子の彼氏が俺の目の前に現れて、「ボーカルやってんねんのやろ?」って言ってきて。最初は"ボーカル"っていう英語が意味わからんくて(笑)。「えっ、、"ボーカル"って何?」って聞いたら、「歌だよ、歌」って。もう「はぁ?、歌!?」って、、。カラオケボックスとかも無いやん?その時代。だから、「歌なんか歌った事無い。お前、俺に何を聞いてんの?」って(笑)。そのくらい分からん世界やった。そしたら、「俺はエレキギターを弾いてて、バンドをやりたい」と。もう、「"バンド"って何?」って(笑)「ほら、何かテレビとかでもやってるやん!ギター弾いたり、ドラム叩いたり!」って言われて、「ああ!あれ"バンド"って言うんや!」って知るくらいのレベルでな。それで「やらないか?」って言われて、「いや無理無理無理!」って言ったら、「じゃあ、とりあえずこれを聴いてくれ」ってカセットテープを渡されて。まあ家にラジカセはあったし、「ああ、わかった」って家に帰って、とりあえずそれを聴いてみる事にしてな。

クラスメイトのとんだ勘違いにより、全く未知の世界に触れる事になってしまった少年時代のNOV氏。

そんな、当時のNOV氏とは全く違う世界に生きているような同級生から押し付けられた1本のカセットテープが、彼の人生にとてつもない大きな変化をもたらしていく事になる。

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