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私が何度も辞めようと思ったstand.fmを続ける理由

私は少しだけstand.fmをお休みしますと宣言してもう少しで1ヶ月が経つ。配信の数を少なくして、それでも完全に止めることはせず、本当に気が向いた時だけに配信してきた。実はTwitterは昨日完全に辞めてしまった。どうしても他の興味の話題やツイート、広告が気になってしまっていた。知りたくない情報を仕入れる場合も時には役に立つが、目の疲労や費やす時間を考えるとスクロールしたり、興味ない話題を消したりする作業が面倒になっていた(Twitter社さんごめんなさい)有料でいいので、もっと見やすいものにしてほしかったとも思う。なのでこのnoteに関してTwitterからの流入は途絶えた。(初めからそんなになかっただろう。)Instagramは一応電話機能が付いているので、何かあった場合としてアカウントを保持しているが、リール動画も含めて必要ないと思える時もあるし、無料で何かを利用させてもらう事はなかなか難しい。新しいメジャーなアプリケーションが出現してくれるのを心待ちにしている状態だ。

話はそれたが、stand.fmのラジオ放送は私にとって何なのだろう。時に楽しく、時に悲しい想いをし、たかだかSNSの世界ととのめりこむ自分を抑えてきた。辛くなってまで普通はする必要はない。私もそう思う。これまでの理由は楽しいことが1番だった。寂しいからという理由で利用したくはなかった。(他の人の場合はそのような理由であってもいいと思うし、それは自由なのであくまでも個人の意見です)雑談配信者の私。とても有益とは言えない配信をしている中で、少しでも元気を届けたいと思って続けてきた。見えないけどその先に笑っている人がいますように。私が泣いていていてもその先に笑ってくれる人がいるなら、私は元気になれるかもしれない。善を積むような感覚で(笑)だって私も泣くより笑いたかったから。そう思って続けてきたもし笑いたいなら圧倒的に動画配信の方が面白いかもしれないとも思う。(stand.fmさん、、、ごめんなさい。)しかし音声配信にやっぱり戻ってきてしまう。誰かの声を聞きたくなってしまうのか、私の声を発信したいのか。この1ヶ月少し音声配信の世界から離れて思うことに変化が生じてきた。

それは音声配信のプラットフォームという世界の中での人間関係の話ではない。私自身がこれからの音声配信というテクノロジーへの変化に関わっていたいからと気がついた。音声配信を始めてたった4ヶ月だがそれでも変化は目覚ましく、アプリケーションの仕様の変化や様々な企業が参入してきた。それ以前から関わっている人はもっと沢山の変化を感じていることだろう。私はインターネットの世界やサイエンス、テクノロジーに興味があってもSNSには興味がなかった。しかしこのstand.fmに音声配信として最初に触れたことがよかったのかもしれない。様々なライブ配信や音声配信で逆に傷ついてしまった人達の話も良く聞く。しかし私自身はstand.fm内で、そこまで大きな出来事に出会っていない。全く楽しいことばかりではなかったが、私が興味があると感じた方々が発した言葉の中に学ぶものは必ずあって、私の心に今でも光を届けてくれたから。私はその言葉を逃しはしない。これからもその言葉達は私に光を与え続けてくれると思う。もうそれを与えくれる人が私の前に仮の世界であっても、いなくなってしまっても、私の機動力として。原動力として。音声配信もSNSの世界と同じで、人は現れては消えていく。それは自由。例え冷たい言葉が私に涙をもたらしても、私は他人の言葉に揺れ動かされて感情を押し殺しても、目を瞑って遠い未来に想いを巡らす。

先のことを考えること、今の世界に支配されない。出来ないことが出来る世界に変わっていく中で対応できる自分でいたい。それが私とstand.fmの付き合い方になってくると思う。人間が理由だと、「楽しくあるべき」という考えが先行してしまう。確かにそれも正しい。自分と他人の感情と相まって心が揺らいで時に喜び疲弊してしまう。でも期待するものが科学なら、サイエンスなら、テクノロジーならそれに対しては何も感情のない。音声配信の世界に関わって変化を眺めていたい。アプリケーションとしては今はstand.fmが1番好きだし、ホラー映画の中から生命の美しさを話し合うあの時間も無駄ではなかった。逆に人を笑わせたり、安心させたいと語りかけた時間もきっと無駄ではなかった。そばにいるだけはない愛情の形について知らない誰かと話し合ったことも楽しかった。

見えない誰かを思うこと、それは無駄な時間ではなかった。それはこれからも続く現実であって、いずれ訪れるもっと現実が見えない世界への訓練だと私は信じている。

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