歩いて帰ろう

 人生って短いナァ。と馬齢を重ねてようやく判明することに、人生の幽邃さ、というか、おもしろみがありますナァ。例えて言うなら、ライフがギリギリになるとめっちゃ必死、しかしその逆、悟りの境地になって敵の攻撃を回避できまくるロックマンのかんじというか。

 住宅ローンという十字架を背負い、土地と家屋を購入したということは、畢竟、もう二度と「帰り道」が増えない、ということになるんじゃないか? なんて、ハッ! っとしたのは頃日。いやまぁもしかしたら経済的なもんだいとかで家を差し押さえられる可能性もあるけれども。

 そうおもうと、いままでいろんな帰り道をとおってきましたね。保育園から祖父母の家までの帰り道。小学校からボロアパートまでの帰り道。中学や高校校舎からマンションまでの帰り道。深夜バイト明け、出勤する真新しい一日を迎えるひとびとが駅に飲み込まれるなかで、まだ昨日をひきずっていたのはおれだけという超スペシャルな帰り道。メンバーで住まわっていた男くさい家までの帰り道。しゃもじどこだよ。住む場所がなくなってしまったので居候していた彼女の家までの帰り道。妻とふたりで暮らし息子がうまれたときに住んでいた思い出いっぱいの寓居までの帰り道。そしていまの帰り道。まぁその他もありますけど。

 でも、いまの帰り道がいちばん好きかもしれない。なんだかんだ叫んだって。ね? むろんそれは家族がいるからなんだよ。って。そういう。そういうアットホームなかんじの随想になる予定です今後。

 おれは基本的にひとりでいることが好きである。ふっ……孤独に慣れちまったのさ。テユウカ、アレダヨネ、オマエ、ケッキョク、キィツカウノ、ダルイダケジャンネ。外人ボイス。

 まぁなぜひとりでいるのが好きなのか、というと、そりゃもちろんおれも精通した一介の男児であるからして、そういう諸事情もあるのだが、なによりひとりじゃないとモノマネの練習ができぬのである。てゆうのは嘘っぽけどそういう側面もあるということで許してクリクリ。

 バンプが「何万歩よりも距離のある一歩」と座布団五万枚級の一歩をふみだし電車をおりる。階段式昇降機にのる。改札をでて階段をくだる。ハトの糞が落ちている。昭和のモダンな風采を帯びた駅舎である。駅前のロータリーを左にいくとパーク、ってゆか駐車場と駐輪場のパーク。すこし歩く。介護施設を折れると、交通量のおおい県道にでる。テールライトが伸びてゆく。ヘッドライトが迫ってくる。びゅんびゅん自転車はあぶねぇ。

 おおきな道ではなく、この土地のものしか知らぬ秘密の裏道を通って帰る。業務スーパーの横の路地。住宅街。ふるい家ばかり。プランターにパンジー。ちいさな水路。カーブミラーにおれ。ふるいアパート。草いきれ。砂利引きの駐車場。白亜の新居。高級。ちいさな畑。土の生命力にあふれたにおい。栗の木。虫の声。通り過ぎる学生のチャリ。アスファルトから雑草。街灯に羽虫。ぶーん。新しい家が並んでいる。ただいま、つって、おかえり。なんてのが理想で詩情味あふれっけど、ははっ、もう妻は寝てる。それでも好きだよ。グッっとね。

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