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奉仕と自己超越:私が見つけた新たな可能性



ひさしぶりにnoteを書こうと思ったら

ひさしぶりにnoteを書こうと思ったら、書き方をすっかり忘れてしまっておりました。 noteはオシャレに読みやすくなっていて、私らしくないのですけど私らしくないのも私になればいいかも、と、ゆるゆるとまた書いてみます。

なぜ書いて見る気になったかというと、音声配信(これもひさしぶり)を再開してみたから。 思いを文章にするのって難しいし、めんどくさいけど 自分の気持ちにクリアになれる気がする。

クリア=自分にうそをついてもしかたない。 そんな感じかな。

毎朝5時すぎから参加している20分の朝活の中で行われている質問をもとに 「今ココ」にある自分の思いや気持ちをアウトプットしてみます。 ひたすら地味にコツコツやって見れると面白いかなと思っています。

ご感想などいただけるととてもうれしいです♫

では今日の質問「どんな奉仕をしますか?」



奉仕の意味を考える

まずは、奉仕という言葉にまた何だろう身も心も捧げるってことみたいな?風に解釈していた自分なんですけど(笑) ちょっとそこは横に置いてですね。

奉仕によって、人から喜ばれるっていうことを私は純粋に嬉しいと感じています。 自分がその人に対して行ったことに関して、笑顔とかその人が良くなるって良かったというお礼を聞くっていうことは本当に嬉しいです なので、自分にできることをしたいなと思っちゃうのも私です。 でも笑顔がみたいという目的だけですべてやるのでは決してないし、自己犠牲を払い続けるということではないなと思うんですよね。 そんなことをまず自分自身が思った後、朝活でこの質問に対してメンバーの中の方が「今まで自分だったらやらなかったであろうことをやってみる」っていう話を聞きながら


奉仕への恐れと挑戦

「新しい未来を作る時に新しい選択というのがやはり必要になるんだな」と思いました。
そういう時ってなにかしら恐れを超えることってあるなあと。

その恐れを自分で自覚している自覚していないに関わらず超えるんじゃないかなと思った時に思い出したことがあります。

私って実はすぐ人を助ける人なんですよね、元々。
それは例えば倒れてる人とか具合が悪そうにしている全然知らない人とか電車の中で突然発作が出た人とかに対して声をかけ、誰かにお願いをし、救急車を呼ぶみたいな処置のことが多いです。
なのでよく、駅員さんとか病院の方とかに医療関係の方ですかと聞かれるんですが全然違います一般人です(笑)



とにかく今ここにいる完全に人の助けが必要であろう見知らぬ人に声をかけるのとかは実は平気で、むしろ率先してやる人なんです。
昔、酔っ払って地下鉄のホームに落ちかけてた人を助けたこととかもあるんで、見ていた人にはすごいと言われてるんだけど、


これって実は私の中ではこっちの方が断然ハードル低いし普通の行為なんですよね。

知らない人は平気だとだけど大切な人いつもの自分を知ってる人に奉仕的なことをすることにすごく怖さがとてもあったようです。
そういうことをもしかしたら嫌われるからも。いや、そもそも嫌われているから余計なおせっかいと思われるかもと思ったりすると、 なにかをしてあげたい気持ちへの行動が制限されます。
伝えてあげたいことが伝えられなくて溝が深まったことも。

そう思うきっかけになったことには今日は触れないですけど、親しい人になにかをしてあげようと思うとき、 結構その「余計なことと思われるかもしれない」という自分を越えて、先程のような新しい選択をしつづけていった経緯があります。


自己超越と可能性の追求

改めて奉仕することって、今までの自分を越え続けて行動する回数を重ねることで、人から喜ばれることも感じ、 自分の越えた力を自分が承認することだなと。
自分の可能性を信じたときにいつもと違う選択をした行動ができることで、枠を越え続けるんだなと思ったし、 そんな自分でありたいと思いました。

よかったら毎朝5時半すぎくらいからしゃべってます。早いよね(笑)

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