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絶海の孤島でバードウォッチャーウォッチング - SF作家の地球旅行記 石川編(2)

前回のあらすじ:能登半島の東側を海沿いに走って輪島で一泊した)

この日は輪島港から船で舳倉島(へぐらじま)へ向かう。輪島から50km北に浮かぶ、人口100人の小さな離島である。

日本国には400ほどの有人島が存在するが、ほとんどが瀬戸内海と九州・沖縄に分布し、本州の日本海側は意外と少ない。北陸三県ではこの舳倉島が唯一の有人離島だ。(能登島は橋があるので離島ではない)

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前回のカナダ編では県境趣味について触れたが、僕の旅行趣味のひとつに「離島めぐり」がある。といっても椎名誠「あやしい探検隊」のように島で天幕を張って焚き火をやってビールを飲むわけではない。一人旅で日帰りである。定期船で島に行って、島をぶらぶら散歩して写真を撮ったり飯を食べたりして帰るだけである。

それの何が楽しいのか、と言われると僕もよくわからない。ただ道路のつながっている土地がどこも豊富な物資輸送によって平均化してしまった中で、離島というのは大体どこも違った独特の文化が、いや文化というと堅苦しいな、独特の空気が保存されているような気がするからだ。旅行で何が見たいのかと言われれば、要するにこの空気の変化なのである。

(椎名誠的な集団離島天幕焚火ビール会もやってみたいが、集団行動を企画するのが苦手なので機会を座して待っている)

後述のように舳倉島では自動車に使えない。宿の主人に頼んでバイクを預かってもらい、徒歩で輪島港に向かう。島には個人商店のひとつも無いそうなので、あらかじめコンビニで飲み物とパンを買っておく。

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船があまりに新しいので驚いたが、あとで調べると旧船の老朽化にともない1ヶ月前に就航したばかりらしい。となると船を作り直す程度には需要のある路線ということか。それにしても人口100人の島で93人乗りは過剰では? と思ったら、座席はほぼ満席で座れない。

日本の離島はどこも過疎化が深刻で、定期船が廃止されてしまうことも多いのだが、一体何が彼らを舳倉島へと掻き立てるのだろう。ひょっとして砂金でも出るのだろうか。佐渡金山も近いし。と思いながら船室の床で寝転がると、昨日の疲れであっというまに眠ってしまう。

90分ほどで島に到着。港にはリアカーがずらりと並んで、降りた人々は自分の荷物をリアカーに積んでそそくさと道の向こうに消えていった。どうやら何度も島に着ているリピーターらしかった。おそらく彼らは砂金の出る場所を隠しているので、後をついていくと背後から手下が現れて厄介な目に遭うだろう。しばらく港でぼんやりする。

通常この規模の島であれば港に車が何台か停めてあるはずなのだが、コンクリ舗装された道路に並ぶのはリアカーのみである。なんとこの島は申し合わせによって「診療所と消防所以外は自動車を使わない」と決めているらしい。住民の移動は自転車で、漁業の島らしく海産物をはこぶカゴが備え付けられている。

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これは僕が行った中ではかなり「絶海の孤島」度が高いぞ、とそのとき直感した。普段行っているのは瀬戸内海のゆるめの離島で、個人商店やレストランがあって小学校と中学校がひとつずつあるのだが、この島は港に自販機がひとつあるきり。小学校もすでに廃校し、警察署駐在所にもあきらかに誰も駐在していない。

島の産業は漁業で、夏場は海女さんたちで賑わうそうだが、この日はまだ朝の肌寒い5月で島は閑散としていた。100人ほどいる住民のほとんどが本土に別宅を持っており、島で越冬する人は20〜30人程度、といったことが Wikipedia にか書かれている。越冬者は主に高齢者で、月に一度ほどしか本土に行かないらしい。商店ひとつない島でどうやって一ヶ月も生活するのか、都市の住民には想像もつかない。

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海岸に砂浜はほとんどなく、岩場で覆われている。夏になっても海水浴を楽しめる島ではなさそうだ。先程フェリーから降りた乗客たちが、あちこちで三脚と巨大なカメラを構え、家屋や電柱にファインダーを向けている。どうやら乗客の大半はバードウォッチングに来たらしい。砂金ではなかったのか。

舳倉島はその立地のため渡り鳥の中継地点となっており、実に300種類もの鳥がこの狭い島で見られるそうだ。なるほどそれはコスパが良い。5月中旬はちょうど見頃なのだそうだ。

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しばらく島を散歩して気づいたのは、ここがおそろしく平坦な島だということだ。周囲5キロほどあるのに、最高地点が12メートルしかない。三島由紀夫『潮騒』のモデルとなった神島は同等の広さで170メートルある。航空写真を見ても、まるで海に浮かぶ板きれのように平坦なのだ。火山島の土壌のせいか樹木もあまり生えず、農地らしきものも見当たらない。

島の標高が低いため海が荒れると島を見失ってしまうことがあるらしく、対策として海岸の石を積んでケルンを作り、少しでも島を見つけやすくしていたらしい。「石積みは漁の安全を願う家族の気持ちがこめられているので崩さないでください」という注意書きが島の施設に書かれていた。

自販機がひとつあるきりで商店が一切存在しない島だが、民宿が2つあって宿泊も可能らしい。1970年頃の資料によると、水がなくて風呂に入れなかった話が書かれている。

島を一周して「へぐら愛らんどタワー」という資料館を見ると、もう他に見るものがないので、バードウォッチャーをウォッチングする。40〜50歳の中年男女が多い。細長いポールの先端にとまったトンビにカメラを向けている。

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三脚おじさんに「飛び立つところを撮りたいんで、あんたちょっとそこまで歩いていってくれんかね」と頼まれたのでポールまで歩いて行くが、トンビ(と思われる大型の鳥)はまったく動じない。地上を這う動物が何をしようと彼らには知ったことではないのだ。おじさんには後でちょっとちょっとファインダーを覗かせてもらう。

あとは港のまわりをぶらぶらすると、北陸電力の発電所があった。50kmも離れた離島なので本土から送電はしておらず、独自の火力発電所を設けているらしい。燃料はA重油とある。

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ところで携帯に関しては普通に4Gが使えた。島内に基地局らしきアンテナは見えたが、ここから本土までケーブルを敷いてるのだろうか? 離島のインターネット事情について調べると色々興味深いことが分かる。たとえば屋久島は景観保護の観点から基地局がおけず、35km離れた種子島から電波を飛ばしているらしい。


15時発のフェリーに乗り、本土に着いたのは16時半。既に夕方である。宿に預けさせてもらったバイクを回収し、能登半島の西海岸沿いに南下していく。夕日は今日も日本海に沈む。たとえ太陽が東に沈むことがあっても、能登の住民にとってそこが日本海であることには変わりない。

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海岸沿いに南下していくと世界一長いベンチというふざけた施設に至る。テーブルを置くために何度も折れ曲がっているが全長460メートル。

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「日本は公共の場にベンチが少なすぎる」と外国人観光客によく言われるが、どうやら石川県に集めすぎて他県に行き渡らないのが原因らしい。自分以外の人間は見当たらない。ひとりじめである。

2007年にここに来たとき、近くに「魚のいない水族館」というドーム状の建物があったのだが、どうやら閉館してしまったらしい。当時は「たぶんエビとかクリオネとかサンゴを展示してるんだろう」と思っていたのだが、今調べたらCGを見せる水族館だったらしい。それは確かにインターネット時代には難しい気がする。

今回の旅行についても、能登半島の先端に何があるかなんて Google ストリートビューでも見れば分かるじゃないか、と言われると確かにそのとおりである。「これからはモノではなく体験を売る時代だ」などと言われるが、体験が具体的に何を指すのかよく分からない。実物を見るのが「体験」なら、なぜ液晶画面を見るのは「体験」ではないのだろうか?


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この日の夕飯は8番らーめん、羽咋店。前日のゴーゴーカレーに続く地元チェーンである。国道8号沿いで開業したことに由来するので北陸を代表するラーメンと言ってもよかろう。飯を食うことは今のところどういう尺度においても「体験」である。

ところでカレーはゴーゴーでラーメンは8番、金沢の観光地が兼六園と21世紀美術館、といった事実を踏まえると石川県は全体的に数字が好きなのではないか。いいですね。海が綺麗で数字が多いとか、なかなか最高の県じゃないか。

【おわり】


有料部分はこの翌日行った場所の話です。別にオチとかではないです。

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