時間について〜働く時間、自分の時間

前、大雑把な計算ではあるがノートに書いた通り1日に取れる平日の自由時間は3〜5時間であり1日の約6分の1である。これは色々適当に見積もった最低限取れるであろう時間である。というよりこれ以上余裕が取れない仕事は選択肢と情報量の多い現在生き残り戦争に敗れ勝手に廃れるとすら考えている。その時のnoteではそれでも自由な時間が少ないと感じると書いた。これには理由がある。

第1にお金についてだ。正直言って将来に結婚や大きな買い物の願望のない私にとって現在の初任給レベルで生涯満足できる自信がある。月々大体3〜5万の貯金を初任給でできるぐらいには欲がない。そして初任給で満足できるということはすなわちアルバイトや派遣で生涯を終えてもなんら問題がないとすら感じているのが現在の私の考えである。

であれば今後同じ時間働いて給料が上がるとするのならばそもそもの働く時間を短くして今までと同じ料金を貰えればそもそも満足できるのだ。ここが他の人と違う?第2のポイントになる。働く時間とお金について、もっと自由に選択肢があってはダメなのだろうか?

娯楽の選択肢や情報量の増えた現代において自分の時間をもっともちたいという人、自分の時間を削ってでも働いて稼ぎたいという人、この2パターンの人間はいないだろうか?そしてこの2パターンを行き来できる制度が今必要なのではないだろうかと考える。

例えばの話をしよう。
とあるAさんは将来結婚したい人がおり、趣味などにもお金が必要であるとする。とあるBさんは将来結婚したい人もおらず趣味に大きなお金をかけるような人でもなかったとする。この場合Aさんはもっと給料を上げて貰いたくて仕事を頑張るでしょう。しかしBさんは特に欲もないので現在貰えるお金で生活をできるように考えるだけで仕事に情熱を傾けたりはしないでしょう。もっと分かりやすく言い換えるなら時間の時間を削ってまで稼ぎたいAさんと今の稼ぎでいいから自分の時間の欲しいBさんになります。
いやいやこんな例えなら当たり前だと思う人が多いだろうと思う人もいるでしょう。果たして本当にこれは極端な例だと言えるだろうか?もし、この2つのパターンの願いが叶っているとした仮定で考えてみましょう。

働いてお金を稼いだAさんにはいずれ結婚して子供が生まれるでしょう。そうすればどこまで稼いでどこまで自分の、ひいては家族の時間が欲しいのかを考えるはずでしょう。プライベートの時間を欲するようになるでしょう。

では自分の時間であるプライベートな時間を多く欲しいと思っており、実際にプライベートの時間を多く取れていたBさんはどうなるでしょうか?もしそのまま自分の時間を増やしていけばもちろん昇格は難しいと思います。しかし給料が増える代わりに今までより少ない就業時間で同じ給料を貰えたとしたらより多くの自由な時間を手にしてBさんは満足していることでしょう。
はたまた運命の出会いを(恋人であれ趣味であれ)プライベートの時間にしておりもっと働きたいと願うようになるかも知れません。
そうです自分の時間を使って自分の時間を削っていいと思える出会いがあるかもしれません。そうするとどうなるでしょうか?あまり働きたくないBさんは、将来の為により多く働きたいAさんに変わります。

このような働き方そのものを自由にできる制度、仕組みがあってもいいのではないだろうかと思うのだ。今までと同じ時間を働いて貰える給料が上がったり、今までより少ない時間働いて今までと同じ給料を貰えたりしてもいいのではないだろうか?
もちろん私には経営学の知識もなければ企業がどのように人を雇い給料を払っているのか学んでいないのであくまで理想論だ。人件費の問題などもあるだろう。それを踏まえた上で思ったのだ、こんなにも色んな情報が行き交い交流できる現代であればもっと自由に働けないのかと。