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村上ユカの波動上昇日記〜私たちの夢は宇宙の夢・前編

今では村上ユカといえば宇宙と言われている私ですが
言わずもがな、宇宙が好きな女の子でした。
学研の宇宙図鑑を、何度も読んでいました。

火星のページには
「タコみたいな宇宙人がいるかも?」
とイラスト付きで書いてあって
ちょっとこわかった 笑

小学校高学年になると
その当時住んでいた札幌唯一の
プラネタリウムのある
青少年科学館が
大好きな場所になりました。

宇宙好きといっても
星の名前はおろか
星座の位置もよく分からない。

でも宇宙が好きなことは
地球にいることくらい
ものすごく当たり前の事で
意識にも、のぼっていないくらいの事だった。




「プラネタリウムでライブがしたい」


と最初に思ったのは
いつの事だっただろう。


最初にプラネタリウムでのライブを
見たのが2014年。


大好きなDÉ DÉ MOUSE
場所は王子の北とぴあでした。

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何回かチケットを取り損ねていて
やっと行けたライブ。


「プラネタリウムでライブが本当にできるんだ」
と思った。


その年の年末に
私はこう書いている


この頃には今の私の中では当たり前な

宇宙にオーダーしたら叶う
(・・・らしい)

という話は知ってた。

叶った事も、叶わないこともあることも
この歳になると
いやになるくらい知っていた。


でも、事務所も何の後ろ盾もない私が
一体どうやったら
こんな大きな夢、叶えられるか分からない。



途方に暮れた。


でも、あきらめてはいなかった。





何の進展もないまま、
私は他の事で、
宇宙はオーダーを叶えてくれる、という
実験や経験を積み重ねていった。


そこで、私は、
その夢を叶えた時の「気分」
感じる事が大切だ、
と知って行く事になる。


2019年、私は再び
プラネタリウムでのライブを見に行った。
そこに立っている「気分」を感じるために。


2019年の9月
DÉ DÉ MOUSEとserphの
多摩六都科学館のプラネタリウムのライブ。

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それが本当に素晴しくて号泣した。


土星の輪を通り抜けたり
太陽の中に入って行ったり
宇宙空間をものすごい早さで
縦横無尽に旅する視点だった。

そう、
体があったら体験できない世界が
そこにあった。


私が見たくて見たくて仕方ない
世界をこれでもかと見せつけられた。
本当に魂が震える瞬間だった。


大好きな2組のアーティストの音楽と
その映像が合いすぎていて
本当にずっと泣いていた。


まわりにずっと号泣してる人なんて
誰もいなかったから
ちょっと恥ずかしかった。


翌月は、故郷の札幌に飛んで
友人でもある
札幌の電子音楽ユニット「木箱」の
プラネタリウムライブを見た。

帰省も兼ねているとはいえ
ライブを見に地方へ遠征なんて
生まれてはじめてだった。

思い出の場所で見たせいもあると思うけど
木箱らしい
あたたかで、良いライブだった。

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両方のライブで
そこに立っているイメージをした。


翌日、木箱の二人とお茶する予定だったんだけど
それが叶わなかった。

どうやったら
プラネタリウムでライブができるのか
野暮だけど
そんな事もきこうと思ってた。

今考えたら
それは極めて「地球的なやり方」

そして
「そうじゃないベストなやり方と場所があるよ」
というメッセージであることは
あとになって分かる事になります。

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後半につづきます。



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