「何でも受け入れて、包み込んで育てようと思った」父が私を育てるときに考えていたこと

大学の授業で、小説家の松家仁之さんが「インタビュー」の授業を持っていた。もともと松家さんは新潮社の編集者で『考える人』や『芸術新潮』などの雑誌編集長をされていた。

松家さんによるインタビューの授業は、各回のテーマにそって学生20名ほどが他者にインタビューし記事執筆をしたものを松家さんが編集してくれるという贅沢な授業だった。

今回、年末大掃除をしている時に授業を受けていた当時のプリントが見つかった。私の父へのインタビューだ。父は60手前なのだけれど、勉強熱心で心が若い。兵庫出身で日常の小笑いは積極的に取っていく人だ。性善説で生きている人で、誰に対しても優しい。その分苦労もしている。

このインタビューがどういうお題だったのかは覚えていないが、私は父にインタビューをした。
改めて読み返してみると父の「家族や子育て」についての考え方か書かれていて、身内ながらなかなかいいこと言ってるな〜と思った。プリントはきっとまた書類の山に埋もれてしまうと思うので、ここに残すことにする。松家さんの赤字も反映している。よかったら読んでみてください。

語り:父、執筆:山口祐加(娘)、編集:松家仁之さん

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今の教育は明治維新や富国強兵の精神に始まったものなんだ。底にあるのは、とにかくはやく工場を動かしてくれるいい技術者をつくるための教育なんだよ。技術をいかして、西洋文化に負けないものをつくらないといけない。だから全部How toから入っちゃうんだよね。明治維新以前はそんなことなしに、人間として大事なことはなにかっていうことをきちんと教えていた。挨拶をする、礼儀をつくす、感謝する。まずそこからはじまる。そのうえに専門的なことが乗っかっていくのが正しい教育だった。

今は、素養がないから薄っぺらかったり、応用ができなかったり、良い方に使われない。教育をもう一度見直さないといけないと老荘思想研究家の田口佳史先生が言っている。それは家庭教育も一緒で、子どもに受験勉強させて、良い学校行ってほしいとか、良い会社に就職してほしいとか。そういう刷り込みがあるとHow toのほうに行っちゃう。だからそこで親がどこまでしつけを強制するかが問題になってくる。強制して、しっかり人間としての基礎が出来てから、型を破っていくみたいなね。


でもそういうしつけって、親自身ができていないと自信をもって言えないから、そのへんが問われると思うよ。お母さんはしつけを堅苦しいかたちじゃないけど、わりかしゆかにしてきたと思う。だからお母さんには感謝している。お父さんが言えなかったことを、言ってくれていたから。ゆかにとっては耳が痛かったり、いやだったり、めんどくさかったりしたこともあると思うけど。

ゆかとお母さんは、同性だから反発したり、時にはライバルになったり、お母さんの嫌なところが似たりする。もし男の子だったら、お父さんは「たくましく育ってほしい」っていう理想像があるから叩いたり怒ったりしていたかもしれないけど、ゆかは娘だから素直に愛情を出せる。優しくて、気が利いて、素直で元気。お母さんのそういう所に惹かれたし、そういう子に育ってほしかったから、自分の役割としては何でも受け入れて、包み込んで育てようと思った


ゆかはいろんなところに行きたがって、沖縄のキャンプにひとりで行かせる時もあったけど、いろいろ経験できるかもしれないと思って送り出した。不安ながらもたくましくなって帰ってくるのを楽しみに羽田でお迎えした。時代が時代だから、自立しながら、面白くて、いろんな経験をしたっていうのは結果的にすごくいいと思うよ。そういうのって後から簡単に身に付かない。いろいろ考えたらそういうのが親離れとか、子離れのきっかけになったと思うし。

あと、子ども遊ぶときは自分の小さかった頃と重ね合わせながらしていたと思う。小さい頃のしょうもない遊びとか、よしもとのギャグとかを教えたりして。その時その時で思ったことを、そのまま子どもには伝えたりできる嫁さんとか、他の人にはしょうもないことはあまりいえないからね。それが子どもにとっては面白いのかもしれない。その時の「楽しかった」とか、「面白かった」とかが思い出として身体の中に残るんだよね。一緒に体験しているのは親かもしれないし、兄弟かもしれないし、近所のおばちゃんかもしれない。そういう体験があればあるほどユニークにもなるし、自信にもなる。「愛された感」「一人じゃない感」が残る。すごい大事だと思うよ


命という種を育てるときに、愛情がなくて、土が冷えていたり、固かったりすると種が育たない。もしくは、化学肥料みたいに即効性はあるゲームを買い与えるとか。すぐ成果は出せるけど、根の深さとか、できあがりのおいしさとかには繋がらない。ゲームは他人がつくったルールに乗っ取って疑似の世界で何かを得るみたいな。

うちで言えば、ゆかは学童にお世話になったり、ひとりにさせる時間が多かったり、いろんなことで迷惑かけていた。ただでさえ愛情を十分に与えられていないのに、そこにゲームを与えちゃったらやばいでしょ。最低限そこま守らないとみたいなのはあった。

お互いに育んだとか育まれたとかそういうのって仕事にも活きてくる。だって大人は「仕事を通じて子ども的なクリエイティビティを大人的に表現している」だけだから。子どものときに楽しかったこと、面白かったこと、夢中になったことのアプローチ変えて、進化させて、大人の世界の中でやっているだけの話。それには全部家族の中で体験したこと、小さいときに体験したことがくっついてくる。

家族って母体みたいな感じなんだよね。帰ってきて、ほっとして、心地がよくて、自分のまんまでいれて。そこからエネルギーをもらって充電できるし、リフレッシュできる。家族の中で培ってきたコミュニケーションが、世の中の人間関係にでるんだよ。だから、家族が人間関係を学ぶ場所として一番大事なわけだよね。根っこなんだよ。いろいろしゃべって、聞いてあげて。もちろん嫌なことも。でも、一番反発したいし受け入れたくないのが家族やとかね。甘えられるし、我が出せる。頑固になってしまうときもあれば、素直にもなれる不思議な存在。

一人暮らしもしたことあるけど、やっぱり家族のあたたかさは違う。帰って誰もいないときでも、犬がいる。キャンキャン飛びついてくれるだけで「ああ帰ってきたな」って感じる。命ある生き物と接していることって大事なんだよ。

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