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自炊料理家・山口祐加の食歴

こんにちは、自炊料理家の山口祐加です。このnoteは私の経歴についてまとめたnoteです。なぜ私が料理好きになり、自炊を広める活動をしているか、その背景について書きました。

私の食歴

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幼少時代―食物アレルギー発症

私は生まれつきの食いしん坊で、保育園の先生が書いた私の記録には「よく食べる子」「おかわりが大好き」と必ず書いてありました。写真のように両手にお菓子を持ってしまうほど、いつも食べ物が手放せない子供でした。

しかし、私は幼い頃重度の食物アレルギーを発症していました。油と砂糖が入っているものはだいたいアウトで、肉類・乳製品・卵・ケーキ類は一切食べられませんでした。食べると全身が赤くなって、どうしようもないくらいかゆいのです。

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写真は当時、保育園の先生と母がやりとりしていたノートです。ベーコン5gも食べられませんでした。(話が逸れますが、何度も食べさせては痒がって心が折れるノートのやりとりを見返していて胸が詰まりました。母は偉大。)

成長とともに食べられる食材も増えていきましたが、唐揚げやケーキなど脂分・糖分の高いものは食べられませんでした。
クリスマスが近づくとテレビから「クリスマスが今年もやってくる〜」とKFCのCMが流れてきて、子どもたちがジューシーなフライドチキンにかぶりつく姿をうらやましく眺めました。チキンが食べられないから、クリスマスが嫌いになりました。クリスマスは、いまでも苦手です。

食べるのが大好きだけど、食べられないものがたくさんある。そういう時期を経て、今はなんでも食べられるようになりました。最初からなんでも食べられたら、ここまで食に執着していなかったかもしれません。

小学時代―外食と自炊の目覚め

両親が自営業だったことにより、「外食」と「自炊」という食との接点が二つもたらされました。

両親が会食に出かけるとき、連れて行かれることがしばしばありました。会食の店にお子様用メニューはないので、気がつくと私の好きな食べ物は酒の肴ばかりに。エイヒレ、刺身、とりわさが好きでした。家では食べられないものを食べられる外食が好きになりました。

そして会食の場を通じて「知らない人でも一緒に食事をすると仲良くなれる」ことを幼いながらに学びました。

もう一つは以前も書いた、自炊の目覚めです。共働きで多忙な母が「娘に夕飯を作らせたらいいのでは?」と思いつき、「ゆかちゃんが夜ご飯作らないと、今晩のごはんないの。作れる?」と優しい脅しを受けて、7歳の頃から作り始めました。
料理を褒められるのが嬉しくて、図書館の子供向けのレシピ本を端から端まで作りました。11歳の頃には、両親の友人にフルコースを出したこともありました。大胆なことをする両親だと思います。

ちなみに初めて料理を作ったのは5歳の頃。手遊びの延長線上で作った、「缶詰パイン・食パン・ヨーグルト」をミルフィーユ状に重ねてオーブンで焼いた創作料理。母いわく「あれだけはおいしいと言えなかった」そうです。

中学時代―寮生活と料理

私は中学校3年間を福井県の寮制の学校・かつやま子どもの村中学校で過ごしました。ここはプロジェクトと呼ばれる体験学習を中心とした教育がされる学校で、自分で考え行動することを徹底的に学びました。
そして、一人っ子の私が初めて同世代と寝食ともにする寮生活は大変刺激的でした。チャンネル争いは実在することを涙ながらに学びました
子どもたちが料理を作る機会も多くあり、料理好きだった私は修行中の料理人のように大量の野菜を切ったり、40人分の豚汁を煮込んだりしました。頑張って作っても一瞬で消えて行く料理の儚さも同時に学びました。

(高校生活は部活に勤しんでいたのでショートカット)

大学時代―NYの衝撃。レストラン沼にハマる

大学3年生の前半は、ニューヨークで過ごしました。午前中は語学学校に行き、午後はひらすらうまいものを探して街を歩いていました。
日本人向けに調整されたやさしい味ではなく、本場の人がガチで作るインド料理、中東料理、タイ料理など、本場の空気が漂う食事に夢中になりました。私が発見したニューヨークのいい店をシェアしたいと思い、帰る頃に「MY NEW YORK MAP-IT’S GREAT ENOUGH!」というおすすめの店マップまで作ってしまいました。

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レストランと一言でいえど、千差万別。ドアを開けた向こう側にある世界をもっとたくさん覗きたくて、とにかくたくさん新しい店に行こうとしたのがこの頃です。

ちなみに滞在期間中に訪れた200軒ほどの飲食店や本屋などのショップカードはイエローページのように一冊にまとめました。(ショップカードのサイズに合わせて封筒サイズを全部調整したのがこだわりです)

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社会人時代―京都へ

新卒で入社した出版社が京都にあり、東京から京都へ引っ越しました。和洋中、B級から高級まで全てクオリティが高く、食偏差値の高すぎる京都に痺れる日々を過ごしました。2年という短い京都生活でしたが、京都らしい四季を重んじる食文化や小さい個人店を大事にする文化に触れられた時間はかけがえのないものでした。

その後東京に帰京して食分野のPRや企画を行う会社に就職し、1年勤めた後に独立しました。独立の経緯についてはこちらのnoteをを参照ください。

独立後のお仕事について

独立後の仕事と展望についてはこちらでまとめております。

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【Instagram】@yucca88
【twitter】@yucca88

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