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Ligabueって誰? Chi è Ligabue?

まずは、順当に推しのご紹介から。
Luciano Ligabue(ルチャーノ・リガブエ)
ステージネームはLigabueとのみ表記し、ファンからはLiga、あるいは定冠詞を付けて
Il Ligacapo(イタリア語で「ボス」の意)と呼ばれる。ただし、熱烈な女子のファンはLucianoあるいはLuciàと親しげに(馴れ馴れしく)呼ぶことを好むようだ。
1960年3月13日、北イタリアのエミリア・ロマーニャEmilia Romagna州レッジョエミリアReggio Emilia県コレッジョCorreggio生まれ。
自ら作詞作曲する歌手であるほか、作家、映画監督、シナリオライターという多彩な顔をもつ。1男1女の父親でもある。


30歳にして遅咲きデビューからスターダムへ

1980年代なかばからバックバンドOrazero を率いて音楽活動を開始、1988年、地元のロックコンテストTerremoto Rockで優勝、優勝のご褒美として、1000部限定で初のレコード(45回転盤!)を制作。このシングル盤には、初期の名曲としてお馴染の“Anime in plexiglass”“Bar Mario”が収録された。
なお、現在にいたる側近にして最大の理解者、親友でもあるプロデューサーのクラウディオ・マイオーリClaudio Maioliとは、このころからのつきあいである。

そして、2年後の1990年、バックバンドにクランデスティーノClanDestinoを迎え、メジャー・デビューアルバムLigabueをついにリリース。デビュー・シングルの“Balliamo Sul Mondo”は、いまなおライブでは超盛り上がる、ド定番の一曲となっている。

      《デビュー当時のLuciano。初々しいというより垢抜けない(笑)》


翌年、2枚目のアルバムLambrusco, Coltelli Rose & Popcorn (1991)、そしてサード・アルバムのSopravvissuti e Sopravviventi (1993).を立て続けに発表、この間、‘Neverending Tour’と称するライブをイタリア全国250か所で行う。
‘Neverending Tour’終了と同時に、4枚目のアルバムA che ora è la fine del mondo? (1994)をリリース、ClanDestinoとの活動もこれをもって終了する。

1995年にバックバンドを一新、のちにラ・バンダLa Bandaとして親しまれるバンドとともに収録されたBuon Compleanno Elvisは初のミリオンセラーを記録、15カ月連続でCD売上の上位にランキングされた。また、同アルバムからシングルカットされた“Certe Notti”は、TENCO賞年間最優秀楽曲賞を受賞、ルチャーノ・パバロッティLuciano Pavarotti主催のチャリティコンサート‘Pavarotti & Friends’では、パバロッティとこの曲で共演を果たし、のちに「1990年代最優秀楽曲賞」にも選ばれている。

《代表曲といえばコレ!ライブでは観客総員大合唱!》


精力的なライブ活動はこの時期も続き、1997年にリリースした初のライブアルバムSu e giù da un palcoはミリオンセラーを達成するとともに、いまなお、イタリアでもっとも売れたライブアルバムとしての記録を保持している。
そして、1997年夏にはついに、「サッカー(とロック)の殿堂」ミラノのサン・シーロSan Siroデビューを果たし、2日間で11万人を動員。
また、この年には、もう一つのデビューを果たす。処女エッセイ“Fuori e Dentro il Borgo”を刊行、作家としての第一歩を踏み出した。
さらに、翌1998年には、このエッセイに収録されたエピソードを基にした映画Radiofrecciaで、監督・シナリオライターとしても華々しくデビュー。1970年代を舞台に、自らの青春時代のオマージュと思われるこの映画は、2001年に東京で開催された「イタリア映画祭」でも上映作品の1作に選ばれている。

また、1991年に弟マルコMarco Ligabueによって設立されたファンクラブ‘bar Mario’では、インターネットの普及にいち早く対応して、Web上にフォーラムやWebラジオを開設、2005年には公式ホームページ‘LigaChannel’が誕生した。

映画Radiofreccia”のサウンドトラック盤(1998)、アメリカ軍の旧ユーゴスラビア空爆に抗議して、ジョバノッティJovanotti 、元リトフィバLitfibaのピエロ・ペルPiero Pelùと共作したシングル盤Il mio nome è mai piùを経て、1999年、待望のスタジオ録音盤Miss Mondoを発表、同年9月には、初めてアレーナ・ディ・ヴェローナArena di Veronaで単独公演を行なった。

2002年には2作目の監督作品“Da zero a dieci”が公開され、この映画主題歌の“Questa è la mia vita”が収録された7作目のアルバムFuori come va? がリリースされた。
また、同年開始された劇場ツアーが収録されたライブアルバムGiro d’Italia (2003)は、この年のチャンピCiampi賞最優秀アルバム賞を受賞した。

2004年、処女小説“La neve se ne frega”を発表、20万部のベストセラーとなったこの小説はいくつかの文学賞を受賞した。

有料観客動員数ヨーロッパ記録樹立

翌2005年、8作目のアルバムNome e Cognomeを発表を前に、9月10日、地元レッジョエミリアのカンポヴォーロCampovoloと呼ばれる飛行場敷地内にて、16万5264人を動員するコンサートを行ない、単独アーティストの公演としてはチケット販売数のヨーロッパ記録を樹立した。

2006年は、クラブ・体育館・スタジアム・劇場という4つの異なる会場で、異なるバックバンド、異なる演目の公演を行い、この模様は5枚組のDVDに収められた。
また、この年には処女詩集“Lettere d’amore nel frigo”を出版、さらにエリーザElisaに提供した“Gli ostacoli del cuore”でデュエットにも挑戦、話題を呼んだ。

《このビデオクリップの監督も自らつとめた》


初のベストアルバムPrimo Tempo (2007)とSecondo Tempo (2008)をリリースしたこの間は、ローマとミラノの体育館で各7日間の連続公演を実施、また、一部バックバンドの編成を変えて、ヨーロッパツアー(9公演)に出発、国内でのスタジアム公演を経て、アレーナ・ディ・ヴェローナArena di Veronaでの7日間連続公演も大成功を収める。
Sette Notti In Arenaと称するこの公演では、自身のバックバンドのほか、マルコ・サビウMarco Sabiu指揮によるフルオーケストラをバックに壮大なロックとオケの融合を実現、その模様は同タイトルのCD&DVDに収録されたほか、同様のオーケストラとの共演を翌2009年および2013年にも行なっている。

2010年、5年ぶりのスタジオ収録盤となる9作目のアルバムArrivederci, Mostro! をリリース、同年末には、自らのプロデュースで全楽器の演奏も手がけた、同タイトルのアコースティック版CDを発表、夏のスタジアムツアーを皮切りに、体育館、劇場公演と、精力的にライブ活動を継続した。

2011年7月には、メジャーデビュー前のバンドOrazeroから2008年から活動している現在のバックバンド、さらにかつてステージで共演したゲストも加え、いままでにLigabueを支えてきた全ミュージシャンを招集して、 ‘Campovolo 2.0’と題する、地元での2回目の大コンサートを盛大に開催、この公演の模様は、イタリア初の3D映画として封切られ、また全演目32曲にスタジオ録音の3曲を加えた3枚組のライブアルバムとして発売された。

2012年はロンドンのロイヤル・アルバート・ホール公演を皮切りに、15年ぶりに2作目のエッセイ“Il Rumore dei Baci a Vuoto”を出版。
また、この年5月20日に発生し地元レッジョエミリアに甚大な被害をもたらした地震救済チャリティコンサート‘Italia Loves Emilia’を9月24日にCampovoloで開催した。このコンサートには、ビアッジョ・アントナッチ、クラウディオ・バリオーニ、エリーザ、ティツィアーノ・フェロ、ジョルジャ、ジョバノッティ、リトフィバ、フィオレッラ・マンノイア、ネグラマロ、ノマディ、レナート・ゼロ、ズッケロら、若手からベテランまで、人気アーティスト有志が参加、15万人を動員した。Ligabueは大トリをつとめ、このコンサートの模様は、2枚組DVD+4枚組CD‘Italia Loves Emilia’に収められた。

初のワールドツアーとまさかの来日

2013年9月には、10作目のスタジオ録音盤となるMondovisioneから先行シングルとして、Il sale della terraを発売、11月26日にリリースされた同アルバムは、販売期間たった1ヵ月強ながら、2013年の年間アルバム売上ランキング1位に輝いた。

Arena di Veronaでのライブ映像


翌2014年は、同アルバムタイトルを冠する‘Mondovisione Tour’を、まずは地元コレッジョを皮切りに春の小都市ツアー、夏の主要都市でのスタジアムツアー、さらに、秋からは初のワールドツアーとして、カナダ、北アメリカで5都市5公演、引き続き2015年1月から南米、オーストラリア、日本、中国で6都市6公演を敢行、まさかの初来日を果たした。
この‘Mondovisione Tour’は、2015年4月のサルデーニャ公演で幕を閉じたが、東京の300人キャパのライブハウスから、2日間で14万人を動員しミラノのサン・シーロまで、約1年間にわたる58公演の長丁場となった。
2015年4月には、このツアーのうち、国内のスタジアム14公演および海外11公演のもようを公平に収録したCD+DVDGiro Del Mondoを発売、また9月19日にはデビュー25周年を盛大に祝う大コンサートが、みたびCampovoloで開催された。
2016年は、短編集“Scusate il disordine”を発表したほか、9月には前年のCampovolo以来約1年ぶりとなるコンサートをMonzaで2日間にわたって敢行、この約2ヶ月後にリリースする11作目のアルバム“Made in Italy”からの先行シングル“G come giungla”をライブで初披露したほか、同アルバムから3曲を披露して話題を呼んだ。
この11作目のアルバム“Made in Italy”は、Ligabue初のコンセプトアルバムで、自らの分身だというRicoを主人公とする物語を歌でつづったもの。
翌2017年2月からは、このアルバムタイトルを冠した全国ツアーがスタートしたが、インフルエンザのため、最初の2週間分の公演が延期になったうえ、さらに誕生日ライブとなった公演の翌日には喉の不調が発生し、ポリープの切除手術を行なうことになり、残りのツアーは9月以降に延期された。
この手術後からツアー再開にいたる間、“Made in Italy”の映画化に着手。主人公Ricoに、初監督作品“Radiofreccia”でも主演をつとめたステファノ・アッコルシ Stefano Accorsi を迎え、翌2018年1月25日に公開された。
この映画はゴールデンウィーク恒例、東京のイタリア映画祭で上映され、ゲストのひとりとして、まさかまさかの再来日を果たした。

デビュー30周年を迎えて

2019年3月、12作目のアルバム“Start”をリリース。2020年には“30 ANNI IN UN GIORNO”と冠したデビュー30周年ライブをCampovoloにて開催する予定だったが、ご承知のとおりのコロナ禍のため、2年後の2022年6月へ延期を余儀なくされた。

《CampovoloにてLigabue唯一の無観客ライブ。開催されるはずだった日の開演時間に公開された》


また、2020年10月には、生い立ちからデビュー30年を迎えた2020年までの記録を写真とともに綴った“È andata così. Trent'anni come si deve.”を出版、12月には、いわゆるお蔵入り7曲を蔵出しして収録した13作目のアルバム“”およびそれまでに発売した全シングル曲77曲を収録した8枚組のCD-BOX“77+7”を発売。7はLucianoのラッキーナンバー(姓名ともに7文字とか、誕生日の3月13日の数字を足すと7になるとか、ほかにもいろいろ理由がある。イタリア人はゲン担ぎがわりに好き)だが、コロナ禍で活動停止を余儀なくされるまでに出した全シングル曲が77曲というのはまったくの偶然。
2022年5月には自伝“Una storia. Autobiografia”を刊行2年延期された同年6月の30周年記念コンサート後は精力的なライブ活動を再開、2023年9月、14作目のアルバム“Dedicato a noi”を発表した。

                      (公式ホームページ Ligabue.com より抜粋・加筆)


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