「仕分け∞」でエルサになったMay J.

先日YouTubeで『【伝説】カラオケ仕分け!May J.26連勝の裏話を初公開します』の動画を勧められて、若い頃に台湾で『仕分け』を毎週楽しみに観てた思い出をいっぱい出しました。

全文には中国語のブログでしかありません。この部分はご了承ください。
noteで載せる文章は、YouTube動画のコメント欄にMay J.さんへのメッセージを多少加筆したものです。

2012年6月から2014年5月まで約2年間をかけて、歌手のMay J.さんが『関ジャニの仕分け∞』(略称、仕分け)でカラオケ採点対決を26連勝を続いた。

「カラオケの女王」が「女王の歌」を歌う

番組で連勝し続けたMay J.さんはいつの間に「カラオケの女王」になり、番組に頻繁に呼ばれたことで、May J.さんの知名度も一気に上がった。そのことで、May J.さんがDisney『アナと雪の女王』日本語版のエンドソング<Let It Go>を担当させたかもしれない。

制作の考え方にとって、日本語と英語両方を歌えるMay J.さんは最適だし(そもそも<Let It Go>という曲は誰にも歌える曲じゃなかった)、「カラオケの女王」が「女王の歌」を歌うことも一理あるし、その時May J.さんがカラオケ採点対決を連勝し続けた話題を乗って、宣伝することも話題になれるし。「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず」May J.さんはその時日本語版のエンドソングにとって、最適な候補者かもしれない。

<Let It Go>で連勝を止めた

しかし、その頃のMay J.さんは『仕分け』での様子が変わった。連勝し続けたMay J.さんがよくプレッシャーを感じられて、カラオケ対決は単にカラオケで勝負することではなく、May J.さん自分との闘いになった。

そして、みんながご存知のように、第27回戦で初めて『仕分け』の番組に<Let It Go>英語版を挑戦する時に、サラ・オレイン(Sarah Àlainn)に負けた。しかもリベンジで、リン・ユーチュン(林育羣)に<Let It Go>の日本語劇中歌にも負けた。(厳密に言うと、May J.さんはリベンジで総合的に勝った。ただリベンジの中に、リン・ユーチュンと戦った回が負けた)

エルサになる

実は、May J.さんの連勝が止めた第27回は、大きな違いがあった。今振り返ってみると、May J.さんは第27回<Let It Go>を対決した時に、「バーを見ない」を決めて、番組で宣言した時に、May J.さんはその瞬間に本当のエルサになったと感じた。

<Let It Go>という曲は、自分の才能を抑えて、周りの人が期待された自分を演じたエルサが、自分に縛りつけた呪いを解けて、ありのままの自分で進んで行こうを決意した曲だった。その状況はまさに当時『仕分け』に登場したMay J.さんの状態と一緒だった、と考えている。

カラオケ採点対決で活躍したMay J.さんは
いつの間にカラオケ機械に縛られて、
連勝記録を続けるために高得点をもらえないといけない。

高得点をもらうために、
その曲を歌った歌手の音程を真似しなければならなくて、
唯一自分らしく歌える部分は音楽表現のところ。

しかし、高得点のためにたくさんの
ビブラート、こぶし、しゃくりなどを付けないといけない。
自分らしく歌えない。

その時のMay J.さんはまさに
アレンデール王国の城に縛られたエルサと一緒だった。

「バーを見ない」という決意は、カラオケ機械のバーという制限をエルサが手袋を捨てた「let it go」ということで、

「It's time to see what I can do. To test the limits and break through.」

<Let It Go>英語版歌詞

だから、May J.さんが「バーを見ない」を決意した瞬間に、エルサになりました。May J.さんが日本語版のエンドソングを担当させただけではなく、May J.さんが『仕分け』という旅でエルサそのものになった。

「ずっと ずっと 泣いていたけど、きっと きっと 幸せになれる」
「ありのままでいいの」

<Let It Go>エンドソング版歌詞

こうやって自分が思ったことを日本語でMay J.さんに届けるようになったことは、この7年間日本語を頑張って勉強した自分に感謝したい。コロナ感染されて、隔離生活に続いてる日々に、『仕分け』のカラオケ採点対決を見に続けた思い出と<Let It Go>が伝わった感動とパワーをもらい、コロナが完治したくらい回復した。

May J.さんありがとう。『仕分け』ありがとう。<Let It Go>もありがとう!

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