自傷行為から「俯瞰」へ。そしてそこから得られた物

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これまでの記事から、私は
「覚醒⇒復帰⇒欲求⇒消沈⇒依存⇒克服」
と色々経て現在に至ります。
大分と時をすっ飛ばす事になりますが共に勉学の方も、もう現在(西暦2021年 令和3年度)に再び受け直している授業ひとつ合格すれば完了となり、結構色々と未来が見えて来ました。
ここで、上記した「」の中の「克服」の次となる段階は自分でも実際、
SNSへの依存性が止まった2019年度(令和元年)の秋頃、(色々あり、正式にSNS依存性から抜け出せたのは12月8日です)前回の記事でも述べている通り「自分“が”やりたかった事の重大さ」を主張するべきだなと思っていました。

 しかし、ここまでの経路の中でもただ「普通に」生活を送るだけで色々と躓いて来た為、
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 取り敢えず普通に何の変哲も失く、生活する事が最優先の目標かな。。                ✯⋆*━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━✯⋆*
        
                                                    と思いました。
そしてそれが出来てから、自分の趣向や次となる段階を探って行けばいいかなと思うようになりました。
それから、取り敢えず自分の現状の位置である学生としての勉学の事をちゃんとしようと思い始めます。
毎日何も学校で何の変哲もなく有意義に学習時間を過ごせれば「今日の任務は完了!」とするように成りまして、次第に学校で学習する事が楽しく感じられる様になって行きます。
 この名付けて「有意義学習周期」に入ると共に、私は学校で学ぶ事から、自分の事をよりもっと知ろうとして行く事に繋がり実際、「他の事は何も気にせず自由に執筆して記録して行きたい」と思う様になりまして、
固ツイの記事通りの↷
https://note.com/hukanokano428/n/nbf7af24f2f5f
noteの利用本目的となって本アプリを利用するまでに至りました。
自身が今は、「高次脳機能障害」者と表明されていますが、元々かつては「自閉症:ASD」だったのではないかという思考までに至ったのも、学校で「障害児教育」や「臨床医学各論」という授業で障がいについて学ぶ機会が増えたからです。特に「臨床医学各論」では「注意欠如多動性障がい:ADHD」や「自閉症スペクトラム:ASD」、「限局性学習症:SLD」、「発達性協調運動障害:DCD」について学ぶ事が大まかに多く、その特性や実態をビデオ鑑賞する「障害児教育」の授業から抑えて判明した事が、固ツイにも表記してる通り元自閉症疑惑が感じられた事に結び付いています。
幼い頃大事に育てて来てくれたにも関わらず、途中で弄れ者と化してしまい周りに多大なる迷惑を掛けたのにまた、「大学生」という位置まで持ち上げてくれた立派な両親は、その発見を一つも聞き入れ認めてはくれませんでした。実はこれには少し不満があります。
私としては本当に嬉しくて生まれてから今までずぅっと行き難いと感じていた気持ちが晴れてスッキリすることが出来たんです。
 自分はおかしくなかったんだ。と思えて生き易く感じることに繋がりました。
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 私は元々ずっと好きで独り善がりして来たのが一番の原因だと思うのですが、ある視点に執着するとそれ以外が本当にどうでも良くなってしまいます。
普通の人なら自分側に「情」を置き、一番大切なのが自分になると思います。
これは嘗ての私もその通りでして、一番大切で一番に重点を置いていたのは確かに「自分」でした。
ですがこれまでそうして真っ直ぐルールを守って生きて来たにも関わらず、私は固定の記事にも表記した通り「泣く」という素朴な行動が出来なくて悩んでいました。


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今までずっと例え自分が正しくてもすぐに「涙を流す」という物理的表明をした側が味方をされて結局自分が悪者という結果で結末を迎えてしまう。
…………確かにそれは悔しい事で悪いのは自分じゃない。
⇔でもそんなに私を追い詰めるんならもういっその事、物理的に表明する事が出来ない方(=自分)が壊れるまで追い詰めてみたらどうだろうか………
⇒でも誰もそんな事試してくれる人なんて居ないから、自分で検証するしかないんじゃないか…。。
最終的にはその結果から「リストカット」とか言う、どうせ完全に傷付けられない見掛けによる行為で無くて「自殺未遂」とか周りの人の気持ちまで思考出来ていない自分勝手な「自傷行為」を起こしてしまったのだと自認しています。
そんな無様な行為をせっかくママのおかげで「大学生」という位置まで取り戻して貰えたのに、また繰り返すなんて絶対に出来ないし「障がい者」というもう外せる事の無いレッテルを貼り付けてしまった自分には「障がい者としての音楽療法士(MT)」という必ず叶える為の大きな夢がある…。
「俯瞰(ふかん)」とは、これまで物理的に表明出来ずとして仕打ちを受けて物理的に表明せずとして「自傷行為」を起こしてやろう!と思い立って湧き出た気持ちから産まれました。
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一度「自分」から視点を外して上から全体的に眺めて見た私は面白いものでした。
頑張って頑張って踠いてるのにそれが症状となってちっとも現れない。
でも俯瞰している対象は自分である自身なので、自分にどんなに酷い結末や仕打ちを望んでも誰にも害を与え無いし誰からも注意を受けません。
それに私という頑張って踠いてるのにそれが症状となってちっとも現れない鈍臭い人物は、そりゃ普通の人から見たら面白くて放っておかないわけには行かなかっただろうな、と思いました。
 そうか、そもそもの私が変だったんだ… と。
 そうして「俯瞰」する事に寄って自分の特性を眺め、自分が元々自閉症だったのだという疑惑も分かりました。

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     明確化➡︎長期の疑惑,モヤモヤが晴れる
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またそれが分かった事に寄りこの、「俯瞰」を繰り返しました。
すると、だんだん色々な事が判明して来て楽しくなって来ました!

これはある療法に寄る授業での出来事。
セラピストに成るには、ケアする相手側(=クライエントさん)側の立ち位置を味わう事が大切だそうです。
それに寄り音楽などの知識だけでなく、遊びを取り入れたあまり激しく本格的では無かったのですが、そんな遊びと運動の授業が組み込まれていました。
この授業で明らかになった事とは、自分の本来の気質でした。


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私は結構遊びとかになるとすぐになんだか子どもの性質でもある歌い出したくなって来てしまったり、出てくる発想も障がいをお持ちのお子さん寄りというか、結構子どもっぽくて、今までそれを抑え込んで生きて来たのではないかなと思うようになりました。
確かによくよく考えてみると、自分は小学生の頃からずっと「学生」という看板を背負って勉強しに来ているから、こんな自分の本願望的な子ども染みた気持ちを出してはいけないんだと抑え込んで学校生活を送っていました。
それに今までも、些細な出来事でもすぐに大さに展開させてしまう癖の悪い私は、最終的に「お前なんかがそんな事許されるわけが無い」という台詞に自分の中で勝手に言葉を惑わせて好き勝手生きるのを我慢する様にもしていました…。
でも、先ほど述べたようにクライエントさん側の立ち位置にも成ってみる必要性のある現場に遭遇して、何故か「別に表明しちゃってもいい」という自分の何か釣っかえが外れました。

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 きっと「音楽療法士に成る」というひとつの志しはこれまでの自分の押さえ込みを押さえ付ける強い志しがあったおかげだと思っています。
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これがあったからこそ、素直になるのが苦手でずっと隠して生きて来た自分の本来の表情を出してもいいかな…と至れたのかと思います。
ここに長期間自分で疑惑があったモヤモヤが晴れたきっかけで「俯瞰」を取り入れてみると、
❶本当はこういった言動を発したいという気持ちを❷その現場には相応しくないから堪え耐えて我慢するという、この2つの(❶と❷)葛藤がぶつかっているなという事実が分かりました。
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 ここで自分の本来の願望が顕になりました。
私は今まで当たり前の如く、
自分は頼られる側で在るべき人材で無いといけない存在なのだと決め付けていました。
だからこれまでずっと求める事を我慢して、求められる事ばかりされようと生活して来たけど、自分も求めて良いし、自分も求めたい気持ちがあるんだなって思えました。

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­­­              自分の本趣向がハッキリする
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 ここでやっと、長年「真面目マスク」を我慢し続けて被って来た報酬として、平等に真実を判定出来るようにまで至れました。

実は、「俯瞰」という言葉は私のこれらの出来事より先にある漫画を読んでいて知っていた言葉でした。
プライド高く気位の高い人格である私は、見聞きした言葉の意味を抑えないでいる状態なんて有り得ないので、勿論速攻で調べて漢字の意味も抑えようと試みましたが、なかなか使い方に辿り着けず仕舞いだったんです。
でも、この物理的に表明せずとして起こした「自傷行為」が俯瞰その物なんじゃないかなと到達して、
物理的に表明しない「自傷行為」=俯瞰という力をツールとして自分分析に使用して行く事となりました。

          ✯⋆*━━━━━━━━━━━━まとめ━━━━━━━━━━━━✯⋆*
「俯瞰」と一見難しそうな行動は、
物理的に表明せずに「自傷行為」を行う為の自尊心や完璧主義と正の相関関係と、過去形にしても未来形にしても真面目に生きようと試みる公明正大な持ち前があれば、知らず知らずのうちに勝手に起こす事が出来るのではと思います。
そして「俯瞰」から得られる物は極大きいのではないかと私は勝手に期待しています。 ✯⋆*━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━✯⋆*

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