「夢」と違う「理想」の取り扱い方

前回、「他人の悩みに対しては前向きなれる真相とその応用」【短執】↷ https://note.com/hukanokano428/n/n9f5935d9bfa6
では、取り敢えずは多く持つのが良いと記載しましたが、今回は、私の思惑範囲内でのとは違う理想について記載したいなと思います。またその理想についての取り扱い方についても綴りたいと思います。

。。、

…それは私がまだまだ大学にも受かってなく、本当に無力で何もかもが儚いとき…。。
その時の私にとっては傷めた脳を使いながら、ただダラダラと繰り広げて娯楽に浸りながら想い描く願望に値するとはまるで魔法でした。

当時の力量を使って想い描いていたのは、「理想」というより「夢」なのではないかと思います。

そして
理想。。、

そこから4年経った今、この4月から大学も4年生として通う様になりました。
すると次第に当時は「夢」の様な魔法だと感じていた「理想」も、それに近付くに連れて当然の出来事の様に容易くこなせるようになってきました。
大学にも通えていない頃に思い描いていた「夢」に、もう結構近くなって来ておりいつまでもダラダラと繰り広げて娯楽に浸りながら想い描いている視野ではいけないのではないかと思いました。
ここでずっと「夢」と感じていた想いは、「理想」へと変化したんだなと思います。

理想へと変化した想い。。
今度はその娯楽として想像するだけじゃなくて着実に達成していかなければなりません。
●さてその「理想」の取り扱いとは…

それは着実に達成していく為に、魔法のように有り得ないことも有り得るようにと流していた部分を、現実として受け入れないといけないので、その為にも割り切らなければならないかなと思います。
その為には曖昧に可能と流していたことも全て、着実に可能とする為に「妥協をする」というより現実をもっと見る必要があるのかなと思いました。

決してレベルを下げるというわけではありませんが、現実化として現すのなら多少の「妥協」はしなきゃならないし、もっと社交的というか現実に視野を向ける努力はしたいと思いました。
私で言えば、聴いたら大抵の曲は大まかにピアノで弾けるという力。
ママには「大した事もない技量」だと蔑まれ続けていますが、
世間的な観衆から見ると、
春期休暇中にアルバイトした障害のある中高生の集う学童やボランティアで活動した際にそれがどのような役目を果たしたとか、それに寄って変化した場面や事実をもっと彼女にも見せ付ければ、私ももっと自信を持って表面に出れるんじゃないかと気付けました。

✯⋆*━━━━━━━━━━━━まとめ━━━━━━━━━━━━✯⋆*
とは無謀な考えでも許され、実現させられなくて、ただ繰り広げて娯楽に浸りながら想い描いてあっても良い願望。
理想とは現実化として現すのに「妥協」をして、それを乗り越え、上手く取り扱う為に社交的というか現実に視野を向ける努力をしなければならないということでした。
✯⋆*━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━✯⋆*

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?