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冬季五輪で思い出すこと

母から今朝電話があった。
お風呂掃除してて気付かなくて折り返したら、いつになく早く出た。

「昨日スキージャンプ見たら思い出しちゃってね」
そう、母は言った。それは24年前の長野五輪の時のことだった。

命には優劣がない、という。
でもそれが「明日終わるかもしれない長くない命」と
「これからも続いていくであろう長い命」だった時
優劣はなくとも「選択」はしなければならなくて、選択によって結果的に優劣が生まれてしまうことはある。

何も高度な医療現場の「トリアージ」の話ではない。
ただの「どちらの家族と一緒にいるか」という選択だったのだ。

長野五輪。
ちょうどその頃だったのを私も鮮明に覚えている。
高校から早退してきて、それも自転車通学だったから自力で帰るのも大変で
家に到着したもののリビングのソファにたどり着かず、廊下で倒れた。

腎臓の病気だった。

私が倒れる直前、祖母がくも膜下出血で倒れていた。
一命は取り留めたものの長くて3ヶ月の命だと告げられていた。
(って言って祖母はそれから約10年生きましたが当時は先が長くないとみんながみんな思っていました)

その看護を母がやっていた最中、娘の私までが病気に倒れた。
幸いそこまで重いものではなく薬剤治療と「「絶対安静」」によって時間が経てば治ることがわかっていた。

その状況下で母は祖母の看護に行って私はひとりで闘病することになった。
どっちも病院にいるなら同じとこになんて都合のいい形にはなるわけがない。
祖母は終末医療の病院にいたのだ。

その中で印象的だったのが「長野五輪」だった。

私たち母娘の記憶には、ふたりの闘病と冬季オリンピックの映像がセットになって刻まれることになった。
長野五輪での一番の名シーンはなんといっても「スキージャンプ」の金メダル。
「船木ぃ〜」のあのシーンである。
周りの友達はそれを学校に行っててリアルタイムで見ていなかったけど
私はベッドからリアルタイムでハラハラしてテレビを見てたのを覚えている。
むしろ「病気して良いシーン見れてラッキー」みたいなことを考えていた。

母もその放送を祖母と病室で見ていた。
もっとも祖母が「見て」いたかはわからないのだが…

だからこそ、こんなふうに取り上げられるような「スキージャンプ」を見て、母が思い出してしまうのはどうしようもなかった。

日本のエース小林陵侑(25)=土屋ホーム=が今大会日本勢初の金メダルを獲得した。1998年長野大会ラージヒル団体金メダリストで日本選手団の原田雅彦総監督(53)が、ジャンプ陣24年ぶりの金メダル獲得に喜ぶ姿がテレビ中継で写り、SNSでは「原田さん」がトレンド入り。

電話口で「スキージャンプを見ながら『ゆきは大丈夫だろうか』と思ってたのを思い出して、今は元気ですか?」と言われて少し笑って元気だと告げた。
「あの時あんたにスキージャンプの話をしたらすごく素気ない感じで申し訳ない気持ちがたくさんだったんだよ」
と言われて、自分の記憶には金メダルに歓喜したことしか残っていなかったから
素気なく返した気持ちをもうすっかり忘れていることにも気がついた。

でも母にとっては重要なシーンだったのだろう。
どっちを取ってもきっと後悔するような選択だったのだろう。
そうして今、思い出しても後悔が残っているのだろう。

それは彼女にとっては「明日終わるかもしれない長くない命」と
「これからも続いていくであろう長い命」のどちらかの選択だったのだ。

でもあの時、母がその選択をしたからこそ
私がいまその後悔を「大丈夫、間違ってないよ」と和らげることはできるんだな。

オリンピックのように「記録」ではなく、24年越しに「記憶」が塗り替わることが、あれば良いなぁ。

読んでくれてありがとう!心に何か残ったら、こいつにコーヒー奢ってやろう…!的な感じで、よろしくお願いしま〜す。