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自分を豊かにしてゆく歳

コロナ禍だから…というより
フリーランスになって以後、困窮している。
とは言っても、使える制度や色々な仕組みをフルに使う能力くらいはある。
結構このお役所の申請関連を自力でできないという話も聞くが、私は何かに困ったことがない。
それと少しずつ何もしないで入ってくる収入…を作れているので、少しずつだけど状況は改善している。

困窮…といってもその状況を本当にわかる人は
サラリーマンで月に相応の決まった額が入る生活をしていると、そんなにいない。
経験したことがあるかどうかもあるけれど
自分の働きや働いた内容・時間などとお金が結びついていない生活をしていると、おそらく想像できない。

困窮している中、言われたことで激しい感情が湧きあがったことがふたつある。

ひとつは中小企業庁のコロナ貸付で支払いが滞った時に電話口の雇われから
「数万円なんて大した額なんだから何とかしろよ」と言われたこと。
自分の名前で、自分の働きで、仕事を作ってそれを運営し支払いをもらう…ということをやってないヤツがその数万円の価値をそんなふうに言うとは。
肩書き全部おろしてお前の名前でその数万円簡単に払えるんだろうな?と思う。

ふたつめは、食べるものも食べれずの状況だった1年で10キロ近く痩せた時。
友達だと思ってた女性からさんざん「どうやって痩せたの?」と聞かれたこと。
一日一食、パンひとつか納豆ご飯で3ヶ月もすれば痩せるわよ…と心の中で思ってた。
たぶんどんなに過去世話になってても彼女とは二度と席を供にしない。

その逆で救われたことも何度もある。
自身の長のお店で都合してくれた方
個人だから何もできないと言って似顔絵を頼んでくれた方
勤め先である決裁権で仕事をくれた方
ウチにあるモノといって食糧支援してくれた方
私から何かしてほしいとは一切言ってない。
こんなに困窮してるんだと実生活を書くのもコレが初めてに近い。

なぜなら何しろ自分が困窮しているのは、
【やりたい事しかやりたくない】
という究極のワガママをやってるからで。
そこで困るなら、あとは知恵と工夫でどうにかしようと思っている部分が大きい。

でも前者と後者で圧倒的に何が違うかというと
「自分で仕事を作る難しさ」を知っていることと
「自分のできる事やお金の使い方」を知っていること。

特にお金を持っていても、使い方を知らないと感じる。
別に私に支援しろとかそういう話ではないよ。
私を助けてくれた人たちって
私は「ここで倒れて良い人じゃない」と
私の価値を認めてくれたんだと思ってる。
直接お金もらったんじゃないけど。

お金は大事なんだよ。
持っていることよりもずっと使えることが大事。
人や才能や技術、知識やインフラ…価値を認めるために使うんだと思う。
どれだけ安く買ってこんなに節約しよう…って
我慢や無理して色んなことをお金を理由に奪われてるだけ。

お金って自分を自由にするためのものでしょ。

私がお金がないときに一番困ったのは
食事の選択肢、交通手段の選択肢、生活の選択肢
色んな選択肢がひとつずつくらいしかなかったこと。
単純に栄養失調気味でヘロヘロだったのも辛かったけど、どんどん自由を奪われる。
でもたぶん節約貧乏根性は根付かなかった。
選択肢をどんどん広げて、豊かに生きるためにお金を使おうとずっと思ってた。

大事な人やものを認めて拍手喝采のように使うお金で、誰かや自分が自由になっていく。

節約や我慢して自分や生活、身の回りを安いモノでかためて、自分を粗末にする。
そんな風にお金を使いたくない。
もっと私は私を大事にするために
すごいと価値を認めている人やものにちゃんとその愛を届けたい。

その自由を手にしたいから、お金がいるんだよ。

自分を粗末にしない。
豊かになるのにお金は必要だけど、お金があれば豊かじゃない。
お金をちゃんと使って自分の責任で自分の好きに、自由に、生きられる豊かさ。

私はね、ただ絵を描くだけで生きてられれば、それだけで良いんだよ。
あ、でも推しには会いにいく!!!笑

読んでくれてありがとう!心に何か残ったら、こいつにコーヒー奢ってやろう…!的な感じで、よろしくお願いしま〜す。