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コミュニケーション

イラストレーターのつかはらです。
突然ですが、私はコミュニケーションが途轍もなく苦手です。そう、コミュ障。
と言っても、たぶん普段会ってる人は「そんな風に見えないよー」と言うかも。

なにが苦手かといえば。

いわゆるコミュ障と言われる中には
「話が通じない」「決まった話題しか出来ない」というほかに
「コミュニケーションにかかるエネルギーやハードルがハンパなく高い」
というタイプがあると思うんですよね。

間違いなく私はこのタイプで「エネルギーとハードルが高い」んです。

・自分から話しかけること
・話すキッカケを作ること

この2つにおけるエネルギーとハードルが想像を絶するほど高い。
話が始まっていればそれなりに話せるけれど
自分の話をしなければならない時、それを言い始めるキッカケを持つことが困難なんです。
計画して準備して何をどう話すか決めてからじゃないと話せない。

だから電話でも自分でかけるのは大変。
話の内容をメモしてからかけるし用事ない電話を自分からするなんてまず無理。

仕事はその点ありがたいよね。
用事なくて電話かける事なんて必要ないじゃないですか。
用事あってもメールで済むことも多いじゃないですか。

それで返事が返って来ないと、次に連絡を取るエネルギーを持つのにさらにハードルが高くなります。

コミュ障…障害?

人見知りは仲良くなるのに時間がかかるだけでコミュ障は会うたびに気不味くなって仲良くなれない。

どこかで読んだけど、まさに。
仲良くなるのにこちらから話しかけられないんだから、気不味くもなりますわな。

特徴3つ「完璧主義」「他人の目を気にする」「悲観的」にめちゃくちゃ当てはまりますね笑
私のような形のコミュ障で実際に障害があるのか…といったら
正直、サラリーマンやってた時にはあんまり障害らしいことはなかったんですよ。

何で今わざわざこう書くかといえば、障害になってきたからなのです。
つまり自分から話しかけないとならなくなったのです。
なぜなら、人から話しかけられなくなったから。
待っているだけだと2週間くらい普通に一言も声を発しないんです。

それで「大丈夫」なら障害じゃないんですが。

コミュニケーションと絵を描くこと

絵って「完成したものを勝手に見てもらう」んですよね。簡単にいうと。
私にとって一番楽なコミュニケーションの取り方ってこれなんだと思います。

だからプレゼンはできる。
だからこうやって文章は書ける。
全部、先に完成してるから。
勝手に見てよ。

起点も終点も設定しなくて良い…というか同時ではないのです。
話しかけなくても、そちらのご都合で。

でも、そうやって置いてきたものに
反応がほしいとか思うのは贅沢というか、自分勝手なんですかね…

ヒットしないとフラれた気分

とあるけど、自分の絵が売れてない。買ってもらえない。見向きもされない。
っていうのは、
自分にとってコミュニケーションとして考えたとき話しかけてるのに無視され続けてることなんです。
作品とはありのまま自分を写すのです。良くも悪くも。

少し前に読んだ「芸術心理学の新しいかたち」という本に意訳だけど

原始的な意味で絵(洞窟の壁画とか)を描くというのは「私はここにいるよ」「ここは私の場所だよ」ということ

だと書いてありました。犬のマーキングと同じなんですよね。非常に納得しました。
絵を描くのは「ここにいるよ」って話しかけているんだと思ったら、自分の全てになるのも自分で納得します。

どんなに話しかけても無視されてたことは
現実世界でたくさんあって
子どもの頃も初めて就職した場所でも、最近のある場所でも。

そういう時、いつも思ってきたのは「自分はどこにもいない」ってこと。
だから現実でもう「ここにいるよ」って発するのはエネルギーがなくなってて、
ここにいるって話しかけるのはこの「絵を描く」方法しかない。

それなのに、現実で重ねてきたコミュニケーションがそのまま自分の作品に返ってきてるんです。

どこでも無視される人なんだ。
だから無視されるキッカケを作りたくない。
自分から話しかけなければ、無視もされないから。

ここに置いておくから、見つけてほしい
なんてこと、たぶん絶対無理なのにね。
だからコミュニケーションが今は障害になっています。切迫して。

ここにいるよ。


読んでくれてありがとう!心に何か残ったら、こいつにコーヒー奢ってやろう…!的な感じで、よろしくお願いしま〜す。