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「触れる」と「怖い」

書きたいことたくさんあって頭の中には詰まっているんですが
実際に書き続けるというのは難しいですね。
アレコレ調べてから書きたいタイプなので情報が揃ってからとか思うとなかなか頻度が落ちてしまう。

という言い訳はここまでにして。
前に「コミュニケーションが苦手」という話を書きました。
それに続くような続かないような文章です。

触れられるのが怖い

とにかく人に触られるのが苦手で苦手で仕方がないのです。
苦手、っていうだけならきっと何も困りはしないのでしょうが
満員でもない電車で隣に座ってきた人と触れることや
美容院やマッサージ、そういった場所でも自分に触られることが気持ち悪くて仕方がないんです。

さすがにここまで来るとちょっとだけ生活に支障がある。

知り合いなら、友達なら大丈夫なのかというとそうではなくて
女友達同士で腕組んだりするじゃないですか
あれもめちゃくちゃ気持ち悪いです。
友達に肩を叩かれただけでも「ビクッ」と極度に驚いてしまう。

まぁそこまでならそんなに影響力ないんでしょうが、困るのはよく「触る友達」(割と無意識に、単にパーソナルスペースの狭い人)です。
触られるたびに私には「嫌悪感」として残ってしまうんですよ。
それが知らぬ間に溜まってくると「なんかアイツ嫌い」になってしまう…
これ、友達少ない原因なのでは。

よく会ってた頃はよく触られるので嫌悪感のあった友達が遠くに引っ越して
ネット上でしか日常で会えなくなったら嫌悪感が消えたとかあります。

触るとどうなるの?

気持ち悪い!!!!!! と反射的に思います。

実際に吐き気を伴うような時もありますし…
感覚的に痴漢に遭って触られてるのと似てるんでしょうか。
ああいう「気持ち悪い」です。

先日、外国の方にナンパされて手にキスされそうになった(未遂)んですが
その手を取られた感触が3日間くらい残ってずっと気持ち悪く…
あ、思い出すだけでも吐きそう…
あのお釣り渡す時の手を包むヤツとか最悪です。釣り銭投げつけそうになります。

気持ち悪さがあまりに度を超えているので
それが起きる場面に出会うと「怖い!」に変わります。

嫌な度合いは自分のメンタル状態に影響をモロに受けてしまい
ダメな時は美容院もマッサージも怖いです。

ただ「誰に触られるか」で嫌な度合いはほとんど変わることがなく
友達だろうが、親だろうが、恋人だろうが、
触られて気持ち悪いのは気持ち悪い!!

しかも思い返すと幼少期からずっとそうなんですよね。
何か後天的に遭った訳ではないと思うんです。

触って大丈夫な人

そういう中で、今までに触っても大丈夫な人が2人だけ存在します。
まっっっったく「なぜその人か」がわからないですが。

そのうち1人と先日ケンカ(?)して、瞬間的には気持ち悪いと怖いと、やっぱり思ったんです。二度と触りたくないと。

でもあまりそういう気持ちとは別問題のようで
ケンカしてても何しても、その人だけは大丈夫なようです…
私自身のメンタルに左右されない…

なんだっていうんだ。大丈夫なラインがまったくわからないのは逆に困ります。

「接触恐怖症」という概念

こういった「気持ち悪い」「怖い」が「接触恐怖症」とも呼ばれるというのを知りました。
Wikiさん英語バージョンしかない。

概念じゃなくて「病気」だろ?って意見もあると思いますが…
私にとっては高所恐怖症や先端恐怖症みたいなものなのだという1つの「居場所」みたいな話でした。
だって「いや、私、高所恐怖症なんだよ〜」とか高層ビルとかの日常会話で言うじゃないですか…
そういうくらいの感覚になれたんです。

その「概念」を教えてくれたのは友達でした。
自分にはそういう恐怖症みたいな認識はなくて
ただただ怖くて「困ったなぁ」と思っていたのですが
「これなんじゃない?」と教えてもらったんです。

一気に楽になったように思いました。

その友達は一緒に歩いててふとぶつかっても、こちらの気持ち悪さを知って
「ごめんね」
と言ってくれるような友達です。

この説明が一番わかりやすかったのでリンク貼っておきます。

違和感程度のものから重い症状が出る人、知らない人が対象であるケースや全人類が対象となってしまうなど、十人十色と言っても良いでしょう。

いろんな形で出るようですね。
調べると「触ると痛みを伴う」という話を見つけました。

他人との接触には強烈な痛みを伴うこともある。米国に暮らす23歳の男性の場合、他人が肌に触れるたびに痛みを感じていたという。

これを見て思い出したんですけど
私よく母に「ちょっと触っただけで痛いって言うんだから!」と怒られてた記憶があります。
割と小さい頃の、少なくとも小学低学年の頃までの、記憶だと思います。

でも…これって本当に
ちょっと触っただけで痛かったんじゃね?

何となく記憶にある痛みとして、母に腕を取られるとヒリヒリと痛かったんです。
やけどした場所に触ると痛い、アレみたいな感じ。

そう、今は痛いほどじゃないんですよ。
それに20代前半までは満員電車乗れなかったのに今は乗れないことはないです。
乗っても吐くこともほとんどなくなりました。

少しは「マシ」になってきたということなのかしら。

「適応」ということ

子供の頃の方が症状が重くて痛みもあったと思い出した時
自分が鈍感になったから痛くなくなったのでは、と思っていました。
「鈍感になる」って少し嫌だなって思います。
なぜなら今まで気付けた何かを見落とすことだから。
それは「作る人」にとって嫌なこと。

「特定の恐怖症」に分類される「接触恐怖症」のようですが
そういった「特定の恐怖症」の治療を調べるとワザと恐怖に陥る状況にしてその恐怖に適応させるという考え方があるようです。

ああなるほど「適応」していっているんですね。

よくある困る場面

困る場面堂々たる一位「握手を求められた時」

全然知らない人とかじゃないですよ?
割と好意的に思う人から、仕事の場面で合意の意味から、なんなら好きでよく聞くアーティストから。…に握手を求められた時です。
断るってできないじゃないですか…その場面で。
相手は友好を意味して手を差し出してて、それを踏みにじる行為なんですよ。
そこでこんな↑長々とした説明をして断っても感じ悪いのは同じですし。

手を差し出されてから、、一瞬、息を呑むのを
今までに誰かに悟られてはいないか、すごく心配しています。

今はこれに「適応」するのが目標です。
私に会ったら握手してみてください。いや、やっぱ嫌だな…笑
友好の意が本当の意味でないなら、ムダに握手しても適応できないのかもしれないですしね。

読んでくれてありがとう!心に何か残ったら、こいつにコーヒー奢ってやろう…!的な感じで、よろしくお願いしま〜す。