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手取り14万を「お前が終わってる」で終わってはいけない理由ーヒトの生存戦略

私何度noteに手取りの話を書くつもりなのでしょうか。
というか、今年は何度Twitterで手取りの話になるんでしょうか。
これで3回目の手取りの話題をnoteに書かせていただきます。

1回目。

2回目。

私が手取りの話を取り上げるのは、私が貧乏だからですが、笑、
それ以上に
「貧乏は『自己責任』であって、社会の機能として受け皿がなくてもいい」
という風潮が「結構危ない」ものだと思っているからです。

堀江氏の発言について考えてみる

今日、話題だったのは堀江氏の発言でした。

堀江氏は7日に「12年勤務して手取14万円『日本終わってますよね?』に共感の声」というネットニュースを引用し、「日本がおわってんじゃなくて『お前』がおわってんだよwww」とツイートし議論を呼んだ。

手取り14万円。額面17〜18万円。年収に直すと200万ちょっとかな。
家賃5万、光熱費1.5万、食費4万、消耗品1.5万、携帯交通費その他2万
…月間でギリギリおさまる感じかな。
つまり「一人で生きて行く」だけで、ギリギリの生活ラインですよね。

国税庁「2017年度民間給与実態調査」から「年収分布」を開いてみます。

年収200万円以下は全体の21.9%
手取り14万以下の人って結構います。
5人に1人は、一人で生きて行くのがギリギリのラインの生活を送っているんです。

前もあげたワーキングプアの記事も載せておきます。

確かに自分の職業、年収は自分で選択できる訳ですから、自分の責任だと言うのはわかります。
だから、ギリギリの生活で我慢するのが自分の選択なんだろ?で終わりにすれば良いというのも、気持ちとしてはわかります。

では、何で私はそれを「結構危ない」と思うのでしょうか。

自己責任で終われない理由

「何が問題か」が、ちゃんと書かれていたツイートがこちら。

手取り14万が話題だけど
ホリエモンがお前が終わってるって言ったらしいね
たしかに14って本人の努力が足りないって事言いたいんだろうし
確かにわかる部分もあるけど
その『終わってる』人間もちゃんと子供産める環境にしないと
少子化で日本は滅ぶよね
自己責任だけで行くと待ってるのは滅び

一人で生きて行くのにギリギリの生活であるという前提で手取り14万円を見れば、
子供を産める環境ではないことは確かです。
保育園などの問題もありますし、そもそもこの食費しかない状態で子供に満足に食べさせられないですものね。

5人に1人がそういう状況ならば、少子化は確実に進みます。
2割の人が育てられない状態って構造的に問題があるとは思いませんか。

「自己責任」は社会を滅ぼすのか

「自己責任」で終わらない社会って必要なのでしょうか。
本人の努力でなんとかしてくれって、努力した人は思いますよね、きっと。
でも努力してもスキルの問題やいろんな条件で必ず生活が厳しくなる人は世の中にいるわけです。

「手取り14万は自己責任」
気持ちはわかる。
でも介護や保育士みたいな、
「業界全体の給料が低い人達」が沢山いるんだ。
保育士は居ないと困る。
介護なんて明日は我が身。
簡単に「じゃあ転職すれば?」
なんて口が裂けても言えないわ。
本当に社会が崩壊する。

業界の問題、社会を支えている仕事、病気になった時、いろいろあります。
それは「自己責任」って終わりにして良いのでしょうか。

憲法に「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」とあるのはなぜなのでしょうか。

憲法に則れば「自己責任」で「健康で文化的な最低限度の生活」ができなくなってはいけないんですよね。
フルタイムで働いても手取り14万だっていう人でも、子供を産み育てられるような生活ができるのが「社会」であるべきだと思います。

ヒトの生存戦略

なぜか。
私は社会がどうあるべきか、ということを考える時に必ず思い出すものがあります。

それがこちらの知恵袋の回答。知らない方は全文を読んでみてください。

質問
弱者を抹殺する。
不謹慎な質問ですが、疑問に思ったのでお答え頂ければと思います。
自然界では弱肉強食という単語通り、弱い者が強い者に捕食される。

でも人間の社会では何故それが行われないのでしょうか?
文明が開かれた頃は、種族同士の争いが行われ、弱い者は殺されて行きました。

ですが、今日の社会では弱者を税金だのなんだので、生かしてます。
優れた遺伝子が生き残るのが自然の摂理ではないのですか。
今の人間社会は理に適ってないのではないでしょうか。

人権などの話を出すのは今回はお控え頂ければと思います。

回答がキモなのですが長いので、前半部分を要約します。

自然界は「弱肉強食」ではなく、個体レベルでは「全肉全食」種レベルでは「適者生存」です。
個体レベルで2年生きようが10年生きようが、自然界全体では違いはありません。
種レベルでは「強い者」が残るのではなく、「適した者」が残るんです。
環境に「適した者」が残り、その環境適応は無限と言っていいほどのやり方があります。
種レベルでの残る=「適者生存」は「遺伝子が次世代に受け継がれる」こと。
「生存」が「子孫を残すこと」であり、「適応」の仕方が無数に可能性のあるものである以上、どのように「適応」するかはその生物の生存戦略次第です。
人間の生存戦略は、、、、「社会性」
高度に機能的な社会を作り、その互助作用でもって個体を保護する
個別的には長期の生存が不可能な個体も生き延びさせることで、子孫の繁栄の可能性を最大化する、、、、という戦略です
(後略)

ヒトが種の保存をするために「社会」というものを営んでいるのであれば
「社会」の根本的機能は、ヒト(ホモサピエンス)の「子孫を残す」ことでなければならないということです。
さらに言うと、
社会が「子孫繁栄の可能性を最大化」を目指すために取るべき戦略は
「個別的には長期の生存が不可能な個体も生き延びさせる」ことだ
ということです。

つまり
どんなスキル、業界、病気、、、であっても
「長期生存」を目指し「子育て」させることが「社会」の自然界での役割
と考えられます。

「ギリギリの生活を救う手立て」や「人が子育てしやすい環境」を作る「社会」が至極真っ当に思えませんか。
だから「社会」の「種の生存戦略」の機能を考えた時に「自己責任」では終われないのです。

手取り14万は「自己責任」という「社会」

社会の大きさはそれぞれ考え方ありますが、もしこれを「日本」という大きさにして考えてみましょう。

社会の目指すのは、どういう人であっても長生きをし多くの子育てをすること。
そのための理想の姿が日本では「健康で文化的な最低限度の生活」です。
それが全国民に与えられていることが、日本という社会が目指すところです。

生活するだけでギリギリの職しかないこと
子育てできる余裕がないこと

それは「個別の長期生存」と「子孫繁栄」という課題にたいして、十分に「社会」が機能していない、ということです。
ちなみに、生活にギリギリなのが長期生存に対し機能していないというのは、
個体1体が生活できても「家族」として生活できなければ、
種レベルでいえば機能していないとみなすことができると考えているからです。

それが5人に1人起きている。
「日本」という「社会」の機能があまりに低下していると言えるのではないかと思うのです。
そう考えると「日本終わってる」って言っても、言い過ぎには思えません。

個別的には長期の生存が不可能な個体=「お前が悪い」と言われるような人
だとしたら、その「自己責任」といって何もしない社会でいいのでしょうか。

十分に暮らせるだけの賃金
働けない状況になってもその獲得手段があること
子供を安心して産み育てること
こういった環境が最低限守られる社会でないと
ほんとうに「種」として「生存」し続けるために「適応」できない「環境」を作ることになります。

最低賃金問題、生活保護費下げるなどの社会保障問題、子供の貧困(というかその親の貧困だが)、保育園問題
これが社会問題として取り上げられるのは、環境適応のエラーだからです。

ヒトという生物が生き延びるためには、お互いがお互いの足りないところを補い合いなければならないようにできているのです。
足りないところは「弱さ」でも「悪い」でも「自己責任」でもないのです。
(だから、マイナスを努力して普通になるより、プラスを伸ばし、人のマイナスを補う方が良いとも考えています。それはまた別の話!)

日本の生存戦略が「自己責任」になって良いのでしょうか。

私はそれをとても危険だなってやっぱり思っています。

読んでくれてありがとう!心に何か残ったら、こいつにコーヒー奢ってやろう…!的な感じで、よろしくお願いしま〜す。