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占いは未来予知なのか

占いエントリ、前も書いたのですが、ちょっと「信じない」人の中には
「知らない」からなんだろうなというのを見たので
自分なりに「誤解」を書いておこうかなと思います。

だからと言って信じろ、なーんて無粋なことを言うつもりはありません。

俺が占いはインチキだと思う理由。
そんな未来予知的な事ができるのになぜ路上でやったり、有名になったとしても本出したりテレビ出たりするの?と思うから。
その能力を使うなら(自分か他人かは関係なく)一人ずつの運勢がどうとかじゃなくてもっと根本的に未来を操作する方法あるでしょ。

発端は、私の好きなアーティストのこちらのツイートでした。
迷ったのですが、ご本人を責める気がないので引用だけさせていただきます。ご了承ください。

占いは未来予知なのか

占いにも色々ありますが、西洋で有名なのは「占星術」東洋では「易学」や「四柱推命」ですね。
また「タロット」などのカードを用いたものもあります。
どの占いにおいても共通しているのは「未来予知ではない」という点です。

誤解する方も多いのですが基本的には「当たるも八卦当たらぬも八卦」という言葉がある通り、占いは「当たるかどうかわからないもの」です。
結論から言ってしまえば、占いは「予知」ではなく「予測」だから。

占い師は知っているわけではないのです。分析して予測しているんです。
「占い」は「データ」に基づいた「統計学」です。

統計学とは、ある1つの群のデータに対してその性質を調べたり、あるいは手持ちのデータからもっと大きな未知のデータや未来のデータを推測するための学問です。
我々は、この情報化が進む社会の中で、様々な情報(データ)を得ることが出来ます。しかし、データはそのままでは理解しにくく、役に立たないものもあります。それらのデータは、分かりやすい表現に置き換えて、初めて理解できるものに変わり、「生きる」のです。そのデータを「生かす」ために必要なのが統計学です。
https://to-kei.net/basic/mean/

占いに使う「データ」への信憑性は別問題ですが(のちに述べます)
「占星術」であれば「惑星や星座と地球の位置関係」というデータを用いて、それぞれの位置に基づくデータから、未来を予測していきます。
「易学」「顔相」がわかりやすいでしょうか。
「目の形」などをデータ化していき、その人の性格を分析、傾向を考えることで、「顔の作り」というデータから人の性格の傾向を予測していきます。
「タロット」はデータとして「その人の選んだカード」という偶然ともいえるものを使用します。その偶然性に意味があるという立場です。それぞれのカードのデータから未来を予測する訳です。

つまり、占い師が知っていて話している「予知」ではないのです。
それは「占い」において最も多い誤解といえるんじゃないでしょうか。

言うなれば、経済アナリストが世界情勢や株価などのデータを用いて、今後の経済予測を立てるのと似ています。
ただ、データの内容や予測する分野が違うだけです。

つまり、データを正しく読めるのが、いい経済アナリストです。
いい占い師が持つ「能力」とは、「膨大なデータを読んで分析すること」なのです。

たとえば電灯のスイッチを押したら?

噛み砕いて説明していきましょう。

「未来の予測」と言うと「そんなもんできること自体がおかしいのだ!」という人が出てきますが、誰しも少しは「未来の予測」をしながら生きていると思います。

例え話をします。
暗い部屋に入ってきました。電灯のスイッチを押します。
その時きっと「未来の予測」をします。この後、どうなるでしょう?

ほとんどの場合、スイッチを押す直前まで「灯りがつく」思いませんか?
それが「未来の予測」です。
でも「灯りがつかない」ということもあります。
それは「電球が切れていた」ということがあるからです。

では「電球が切れていた」と「未来の予測」することは全くできないでしょうか。
「電球は5ヶ月くらいで毎回切れる」「前回取り替えたのは5ヶ月前だった」
という情報(データ)があれば「電灯のスイッチを押す」という行動の後
「灯りがつかない」という答えも「予測」できるようになるわけです。

「未来の予測」というのは、データに基づいて日常的にしています。
スイッチを押すという行動は、その行動だけのデータであれば「灯りがつく」という回答になりますが、電球の状態のデータが足されることで「灯りがつかない」ということも回答候補となるわけです。

データが増えれば増えるほどその精度は増します。
わかりにくいデータやデータとデータの組み合わせを整理分析していくことで
より正確に「未来の予測」をしていきます。

占いは未来を操作するのか

日常的にデータに基づいて「未来の予測」をしていますが
もっと精度の高い「未来の予測」やわかりにくいデータも扱って、より正確に「未来の予測」をしていくために
これを「科学」として「学問」にしたのが「統計学」です。
再掲します。

統計学とは、ある1つの群のデータに対してその性質を調べたり、あるいは手持ちのデータからもっと大きな未知のデータや未来のデータを推測するための学問です。

「占い」は「占星術」「易学」などに蓄積されたデータベースを駆使しながら
「未来の予測」を精度高く分析していくのです。

「占星術」では12星座のタイプわけと思われがちですが
個人のデータとして、10項目各144タイプあります。数で言うと144の10乗?
エクセルで計算したけど、桁数が読めません笑
それに加えて、運勢を読む日時のタイプをデータ分析します。
組み合わせ…膨大です、膨大。

この膨大な組み合わせのデータを、今までの傾向から読み解き、分析して「未来の予測」を立てるわけです。
つまり、方法論として「占い」がやっていることは「統計学」なのです。

「統計学」だから当然のことですが
経済アナリストが未来の市場を操作できないことと同様に
占い師が未来を操作できるわけではありません。

占いは未来予知ではなく予測であり、それはデータに基づいた科学的な分析です。
「占いの能力がデータ分析力である」ことがわかれば、それが「未来を操作できる」ものではないことはわかるでしょう。

自分の未来を知っても変えられないんだし、その未来がいつでも良いものなんて限らないですよね。

データの信憑性

西洋にしろ東洋にしろ、占いは生まれたその時代のその場では「科学」でした。
だからこそ為政者が信じ、気にしたことでもあるのです。
そして今も「統計学」という「科学」の中にいます。
どちらかといえば「科学」で証明できていないことは方法論ではなく「データの信憑性」です。

星の位置がなんで影響するんねんとか、ましてや偶然引いたカードで未来が予測できるんかい!ってことになっていくと思うんです。

でもそれはまだ科学が「否定」したことじゃない。
「太陽系の惑星から地球が地球に住む人がほんの少しの影響を受けます」ということを「科学は否定」できるのかという話です。
最近で言うと、ベテルギウスが爆発したとして、地球がどういう影響を受けるかって、まだ正確にわからないわけじゃないですか。

偶然選んだものが必然であったか、というのも科学が証明したことではない。
でも「否定」したことでもない。
占いという分野が扱っているデータはそういう場所にあるものが多いのです。
だから、それらを「データとして信じるか」どうかはそれぞれの立場があっていいと思っています。

占いを使うことの意味

では、なぜ占いでその「未来の予測」をするかと言えば
「こういうことがあるよ」と分かった時、人はそれに対して初めて準備ができるからです。

例え話にもどります。
そろそろ「灯りがつかない」かもしれない「未来の予測」をしました。
そうなったら、どうするでしょうか。
モノグサじゃなければ「電球の予備を買っておく」のではないでしょうか。
まぁ、別に「暗いまま過ごす覚悟を持つ」でも良くて、それぞれ選択肢はあると思うんですけど。
「灯りがつかない」ことに対して各々物や気持ちの準備ができるようになります。

この例えで言えば、占い結果は「そろそろ灯りがつかない」であって、そのアドバイスとして「電球の予備を買うべきだ」と言われたってことです。
それにたいして「暗いまま過ごすんだい!」って思っても別にいいわけです。

だから、占いをしたら、
「灯りがつかない」未来が来ると決まったわけではないし、
そのアドバイスもらっても電球買わなかったら準備はできないし、
なんならそれで買わないって選択をしても良いんですよ。

つまり占いをしたことで、誰かに何かを決められることでもないのです。
そして、占いをしたからって幸福になるわけでもなく、自分で行動しなければ何かが変わることはありません。

自分に「選択肢」を設定することができるのが、占いの大きな意味だと思っています。

私が信じているのは(まとめ的蛇足)

昔、信じられていた「科学」として思い起こされるのが「山伏の薬」です。
山伏は山草学を学び、実際に薬として製造、檀家に配っていたんです。
それらは時が経って、科学が発達して「薬効」を調べられました。

なんとたった1つしか薬学的な効能が認められなかったそうです。
それをもって「山伏はインチキ!」っていうかは、それぞれですが…

占いも「科学」として考えたら「配られていた山伏の薬」みたいなものだと思うのです。

私はその薬効のあった1つのほうを大事にしたいと思うんです。
1つの薬効を得るために、効果のなかった他のすべてを飲んでても害はない。
だったら、飲んでみようかな〜と思うんです。
プラシーボ効果っていうのは証明されているわけだし、信じている方がいいことありそうだなって思うから。

予測で予知でもない。それは信憑性も証明されていない。
でも、もしその未来の予測どおりになったら「自分はどうするか」という質問をくれるという点では占いはとても役に立つ。
自分が考えていない未来について、事前に指針を決めておけるってすごいことです。

もちろん「科学的に考えてナシだろ」ってことを信じる気はさらさらないのですが
(血液洗浄とか塩化ナトリウムの入ってない塩とか笑)
「否定」されていないものを「受け入れる」っていうことは、悪いことではないでしょう。

ちなみにそういうわけで同時に「盲信」もしていないです。
ですが、日々にちょっと取り入れることは「人として豊かになる」ことだと私は思ってます。

何もかもすべてがわかってないことのほうが、よっぽどおもしろいですからね。

そんな山伏の薬もどうぞ。

読んでくれてありがとう!心に何か残ったら、こいつにコーヒー奢ってやろう…!的な感じで、よろしくお願いしま〜す。