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天国みたいな酒・テキーラ

昔、メキシコ料理屋で働いていた時のこと。
店の店長(オードリーの春日に似てる)がピースボートの旅帰りの人で、同じピースボートに乗ってたグローバルなお友達がたくさんいる人だったんですよね。
(いつも思うけど、あのピースボートのポスターの香山リカのコメント胡散臭すぎるよね)

その店長の友人の一人がメキシコへ行ったらしく、なにやら高級なテキーラが手に入ったとのことで、店長の家で飲むぞ!となって、なぜか私もご相伴にあずかれることになって行ったんですよ。

たぶん店長の友達も含めて6〜7人くらいで集まって、その日の主役は当然テキーラ。箱だったか、なんかにくるまれてたのかは忘れたけど、すごく丁重に扱われながら、机の真ん中に置かれたテキーラを、すげーと思ったのを覚えてる。たしか、1本1万くらいすると聞いて、当時超貧乏学生だった私はわなわなした。

メキシコ流のテキーラの飲み方って私はすごく好きです。塩とくし切りのライムを用意して、塩をつまんで手の甲の親指の付け根あたりにのせる(これが正しいやり方なのかは知らない)。それを舐めて、ライムを少しかじって、ショットのテキーラを一気に飲み干す。最高。

宴会の悪ノリでやる一気飲みは大嫌いな私ですが(酒が勿体ないじゃないか!と思う)、韓国焼酎とか、グラスがすでにそれ用になっていたりするタイプのお酒は、やっぱり一気飲みで飲むと気持ちいいし、実際美味しいですよね。

そんなわけで、その飲み会ではずっとその飲み方でひたすらにテキーラを飲んだんです。
当然テキーラだから、酔う。酔う。どんどん酔って、薄れていった記憶の中でうっすら覚えてるのは、飲んでるメンバー全員の無邪気な笑顔。そして多幸感。なんかもう、楽しいってことだけ感じてる生き物っていうか、もはや動物って感じだった。

ところで話は変わるんですが、散々お酒を飲んでいる私、自慢じゃないけど二日酔いがとても酷いタイプ。飲みすぎた次の日は「酒」という字を見るのも嫌。死にたいような二日酔いなんて、大袈裟な言い方かもしれないけど、ほんと死にたくなるくらいつらい。それでもなぜ飲み続けるのかは永遠の謎ですよね。そんな思いしててもなお、その日の夜にはまた飲んだりしてるからほんと不思議。

そのテキーラの夜に感動したこと。結局、テキーラ飲んでそのままみんな寝てしまって、目覚めると、すごく体調がいいんです。超超貧乏学生だったわたしは、普段安酒ばっかり飲んでたこともあって、酒飲んだ次の日に元気なんてこと、ありえなかった。
でもその朝は本当に元気に「お腹すいたー!」って目覚めて。店長が作ってくれた素朴ながらとっても美味しい朝ごはん(白米に味噌汁、漬物みたいな)をいただき、解散したのでした。

人は何故酒を飲むのか。そのテキーラを飲んで、酒を飲むとはこういうことか。と、初めて真に理解したと思った。正しく作られた酒が生み出す酔いとは、天国のようなものなのだと。ただひたすらに楽しく、翌日まで心も体も気持ち良いものなのだと。こんな酒だからこそ、人類は飲み続けてきたのだと、本気で思った。

それから10年ほど、数多くの酒席を経てもなお、あれだけ幸福な酔いを感じられる機会はそう多くない。というかほとんどない。

そんなことを思い出していたら、最近、近所のビックカメラであの時のテキーラを見かけたんです。見間違えない、神々しいボトルのテキーラ。今や大人だから、酒に1万くらいぜんぜん出せちゃう。

だけど、なぜか踏みとどまってしまう自分がいる。衝撃的な経験だったからこそ、更新してしまうのがちょっと怖い。
ぜんぜん二日酔いしちゃうかもしれないし、そしたら嫌だな。
でも、タコスパーティーしながらテキーラ飲みまくるとか、絶対楽しい。やっぱりもう一度、飲んでみたい。やるっきゃない。

ホームパーティーのできる週末が来たら、迷わず買おう。そうだ、来週か再来週、絶対そうしよう。

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