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プラマイゼロ、にはならなくて


楽しい時と落ち込む時と、辛い時と嬉しい時と、感情は色々あって。

良いことも悪いことも、どちらもふとやって来る。

「禍福は糾える縄の如し」


これが計量カップの中の水なら、減ったり増えたり、そのカップの中で変動するだけだから、
悲しいことマイナス50mlの後、楽しいことが50ml足せば、元の量に戻る。

でもどうやら、私の心は計量カップではないみたい。


どんなにテンションが上がることがあっても、悲しかったことや辛かったことが、無かったことにはならなくて。

時間軸の中でゆらゆら揺れる波形で、上がった時と下がった時と、どちらも私の中にその時あった感情として残り続けて。
楽しさも残ってくれるけど、寂しさを相殺してくれるわけでもなく。

その上、嬉しかった時が+50で、辛いことが−50なら、その高低差は100になってしまって。
嬉しいことがなければ、差50で耐えられたかもしれない、ずっとフラットでいれば、何も感じなくて済むのに、なんて贅沢を覚える。


幼い頃からこの高低差に耐性がなくて、旅行に行く前から帰ってきた時のことを思って泣いたり、
辛いことが続くと、差を作らないようにと楽しみを自ら遠ざけたりしていた。

生きづらい考え方をすると自覚はあるが、落差に耐えられないのも分かっているので、上手く自分を制御していくしかない。


辛いことを減らせたら、いいのにとは思う。
でも、逃げたいって思うのが、今は許されない感じがする。

人手、足りないものね。
ただでさえ足りないのに、もう1人減るってなったら、困るだろうさね。

私がいなくても、結局私以外の他の人が無理をしてなんとかなったって、会社は何にも変わらない。
何にも見えてやしないんだから。


おっと、最近はちょっと気を抜くと愚痴になってしまう……
取り繕って装う余裕が必要。


もっと、何も考えずに頑張れる人間だったら良かったのに。

楽しいことを楽しいと100受け入れて、
辛いこと悲しいことを打ち消してくれるような、そんな考え方をできればよかったのに。

生きてるだけでどんどん目減りしている気がする。
もはや正常値は0を通り越して、マイナス領域なのでは……?


とりあえず、自分の気持ちがなるべくマイナス値にならないよう、プラスになることを足しながら、でも急激な変化で高低差に疲れないように、緩やかに穏やかに過ごせますように。


とりあえず、大丈夫、なはず。
大丈夫、大丈夫。

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