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もしも生まれ変わるなら

人間〇〇回目、という言い回しがある。個人的にこれは正しい見解だと思っていて、人間をやった回数が多ければ多いほど、仙人のような人になって、やがて魂の上位種みたいなものになるんだと思っている。回数ではなく内容だ、という人もいるけど、試行回数が多ければ質もよくなるのは自明の理だ。

先日、セッション中にクライアントさんから、「ゆえさんは人間最後っぽいですよね」と言われた。そういう風に見えたことはとても光栄なことであったが、私はそれを否定した。私は、次も人間に生まれる予定だからだ。

少し前まで、私は「人間はもう嫌だな」と思っていた。生まれ変わったら鳥になりたいとか、飼い猫がいい、とか思ってた。人間でいることのしがらみに、まあたいそう辟易していたので。

人間でいることは、楽しい。いつの間にか、そう思うようになっていた。人間っていう生き物の本当の姿を知ったからだと思う。魂が本体なんですよ。形のない見えないものが本体だから、この世界、本当に願った通りになるのだ。

願った通り、と言っても、採用される願いのある領域は、表層意識ではなく潜在意識だ。だから、このことを知らない人がこれを聞くと、「はあ!?」ってなるんだけど。

私はまだ、生まれる前に、万物の故郷で決めてきた人生のミッションを、全部こなしていないんだと思う。だから、まだ人間やりたいない、って感じるのだろう。

でも、どうせなら、人間としての上位種みたいなものになりたい、とは思う。今はフィクションとされるものが全て可能になった人間だ。自力で空を飛んだり、指先から炎をだしたり。そういうの。

私は、人が想像できるものはいつか全て現実化できると思っている。想うことが物質化の始まりなら、どれだけ時間がかかっても、それらは現実になるはずだからだ。

私はそれを見届けたい。自分で体験したい。それは今「自分」と認識しているこの意識かもしれないし、何度か生まれ変わった後の、この文章を書いた記憶さえすっかり無意識の奥底に置いてきた私かもしれない。

あり得ないとされたものが日常になった世界は、きっと最高に楽しい。だから私は、まだまだ人間に生まれ変わりたいと願っているのだ。

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