コソヴォはコソヴァ

コソヴォ共和国はセルビアの自治州でしたが今では独立し日本も承認しています。コソヴォの住民の90%以上がアルバニア人。ただ当のセルビアは認めていない。なぜならコソヴォはセルビアにとっても聖地だから。

セルビアはそもそもコソヴォで統一王国をつくったと。そして1389年、オスマントルコにコソヴォの地で敗れ、オスマントルコに飲み込まれます。コソヴォの戦い。ゆえにセルビアにとっての聖地。

一方19世紀にアルバニア民族が独立に動くための運動もコソヴォのプリズレンで始まったと。

ちなみにアルバニア語ではコソヴァと呼ぶそうです。
セルビア語ではコソヴォ。

アルバニア人の国ができたのに英語の名前がコソヴォじゃおかしいんじゃない。コソヴァにしないとね。

両民族の思い入れが強いんです。セルビアの独裁者ミロシェビッチは権力を掌握する過程でコソヴォで虐げられたセルビア人勢力の民族主義を煽りたてました。NHK「ユーゴスラビアの崩壊」は一見の価値あり。

コソヴォの戦いは1389年6月28日。セルビアにとってこの日は屈辱を忘れない記念日となり、節目節目でこの日が出てくるといいます。(バルカンを知るための65章)

1914年6月28日 第一次大戦が始まるサラエヴォ事件
1948年6月28日 ユーゴスラビアがコミンテルンから追放
1989年6月28日 コソヴォの戦い600周年ミロシェビッチが100万人動員
2001年6月28日 ミロシェビッチが戦犯としてハーグ法廷出頭

ウィキペディアによると2008年6月28日にはコソヴォ国内のセルビア住民が独立議会を設立したといいます。

これからも6月28日は要注目。

以上







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