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私連合


小学生の私は、
この世界、この宇宙に『無』は、
存在しない…と、導き出した。

「ナニもないじゃ?」
と、思ったとしても、
そこには、
まだ認識出来ないダークマターが広がっている。

そこにナニもないと仮定すればするほど、
何かの存在が浮かび上がる。

私が存在して、
何かを感じている以上、
そこには『ナニカアル』のだ。
そして、
私が認識しなくても存在しているものはある。

じゃあ、私って?

…てなってくる。

無意識の集合意識の私。
私の無意識は、私が決断する前に、
既に答えを導き出している。
決断を下したのは無意識で、
その決断を拾ったのが私。
ならば、それを決断したのは私と言えるだろうか?

情報を拾い集め、決断を下す。
まるでその成り立ちはAIみたいだ。

1ヶ月もすれば、殆どの細胞は入れ替わり、
テセウスの船みたいに、
全ての部品が入れ替わっても同じ私と言えるか?


そんな私が、仮定したからと言って、
存在を立証出来ると言えるか?



少なくとも…。
『無』はない…と、感じた時から現在までは、
私にとって、無は存在しない。
そして、私にとって私は存在する。


…それなのに。
どうしてこんなに虚無感に襲われるのだろう。
沢山の可能性を手に持ちながら、
自分自身を不要に感じたり、
全てのものが意味のない事の様に感じたり。

答えは、簡単だ。

誰かの意識で生きようとするからだ。

誰かの意識で生きてしまうと、
全ての事が虚無感に襲われる。

例えば、
お母さんに「いい子でいなさい。」
と、言われたとする。
お母さんの言ういい子は、具体的な形はない。
お母さんのいい子の形を、
察して、探して、生きて行くうちに
自分の意識は薄れて行く。

例えば、
どこかの国で戦争が始まる。
悲しみや憎しみを増幅させて、
流される情報のままに、
形を作ってしまう。
根拠のない不安を増幅させる。

でも、人は自分の意識の中でしか生きられない。
誰かの作り出す意識の中では生きられない。

出来事が大きい程、
出来事が小さくても持続する程、
ある一定の容量を超えた分、
自分の意識は、他者の意識や事象に引っ張られやすい。


私連合(無意識➕意識)は、
そんな時、必ず警告を鳴らす。

例えばこの前の地震。
地球がマントルの対流を繰り返せば、地震は起きる。
でも、マントルの対流が止まれば地球は冷えて、
やがてアイスボールになってしまう。
対流が止まって、
磁場が消えた地球には太陽風が容赦なく吹きつけ、
金星の様になる。
地震は地球が生きている証。

怖がったりせず、
受け入れて生きろ…と、私の内側で言う。
受け入れて、
その先の事はまた考えろ…と。


そんな私連合を、
私は面白いなと思う。

…バカじゃない?って、思った?

ハイ。
多分バカでしょう。
でも、
そんな風に答えを探し続ける私を
面白いとしか思えないのだ。

だから、
結論はナニ?って。

一体なんでしょうね。


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