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翼を収納する気はないからね

「僕たちのお母ちゃんになて〜。」
あるいは
「僕のお母ちゃんになって〜。」

と、20も年上の爺さんが言う。


「はーーーーーーーーーーーーーーーーー!!
 ヤナコッタ!!」



当たり前である。

重すぎる。

一つ一つ世話を焼いて、もっと与えろ?
ベッタリと甘えてくる重力100倍のその言葉にうんざりする。


「何で嫌なの?
 お母ちゃんになってくれたらみんな幸せなのに。」

「気持ち悪いから。」
ちょっと冷静に言ってみるけど、聞く耳持たず。


「じゃあ、お婆ちゃんならいいの?」

全く、じゃあの意味がわからない。

「お婆ちゃんなんて、何で20も上の人に言われるの?」

「だって、孫がいる人だっているでしょう。
 そしたらお婆ちゃんだべ。」

…だべって。
そりゃー、二十歳で結婚して、その子供が二十歳で子供をつくれば、
お婆ちゃんになってる人もいるだろうけど!!


お婆ちゃん?
…なんて、受け入れるわけにはいかないんだよ〜!


「孫がいるならお婆ちゃんだべ。
 何でお婆ちゃんって言ってダメなんだ?」


ダメに決まってる!

私に孫なんていないし。

ヌクヌクと生活を保障され、
甘えて、相手の時間を奪って生活してればいいけど、
私はそんなわけにはいかないんだ。

こんな老人、まだ、元気でこんな老人を見てると、
この国は老人に食われたんだと思ってしまう。
権利ばかり主張して、甘んじる事に躊躇しない…。
自分の不機嫌を他人のせいにして当たり散らすのも当たり前。
自分の機嫌くらい自分で取れ。

背中の翼を収納して、ご隠居になるつもりはないのだよ。
せめて私の邪魔をしないでくれ。
お婆ちゃんで生きれたらどんなに楽か…。
そんなの自分でも分かってる。
それでもまだ背中の翼で飛びたいんだよ。
お婆ちゃんを受け入れたら、私はこの先、何をするんだ?
残りの人生を100倍の重力を預かって生きるなんてアホだろう。

あー、そんなのお断りだ。



「ハイ!!
 ソーシャルディスタンス!!
 私から5メートルは離れて。
 ハイハイ。」


ソーシャルディスタンスとは何と便利な言葉だろう。

こんな老人からは永遠ソーシャルディスタンスをキープしたい。
老人でなくとも、自分で人生歩く気のない人とは
ソーシャルディスタンスキープだけどね。




こんな現状、共感できる人っているのかな?


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