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全日本つらい選手権の開催是非

何のこっちゃって感じのはじまりですね。どうも、私だ!
来月からぽつぽつと新作をアップしていこうと思っているのですが、その前にいくつか心のつっかえ棒になってることをこちらで述べたいと思います。


「全日本つらい選手権」とは、その名の通り「つらさを誰かと競う大会」的な意味の言葉として私が勝手に使ってます。精神的な過酷さを競う、精神的な天下一武道会みたいなもんです。TPPと聞いて環太平洋戦略的経済連携協定ではなくタオパイパイが思いついちゃう年齢と頭でどうもすみません。陳謝。

さてさて、日本では~と言うと「てめーは他の国も見てきたのかえぇ?コラ」と揚げ足つまりフライドレッグをおいしそうにほおばるチキン野郎さまに骨を投げられかねませんが、私が認識する限りの視野範囲ではこの「全日本つらい選手権」は、無意識かつごく自然に開催されています。

例えばフォロワーが何十万といる芸能人の方が「つらいなー」とサガミオリジナルより薄そうな1mmくらいの愚痴をこぼそうもんなら「みんなつらいんですよ」「自分もつらいです」「他にもつらい人がいるのに不謹慎です」というKONOYO NO OWARIみたいなクソリプが四方八方から飛んできたりします。

そんなクソリプを咎めるかどうかは他のクソリプ専門研究家の方にお願いするとして、私が言いたいのは「自分の日常にさして関わりのない、ましてやただ一方的にフォローしたりたまたま目に入っただけの人の愚痴に逐一過剰に反応してしまうほど日本人の心の余裕は奪われてる」ということです。
あとは自分のことより相手のことを優先してしまうとか、相手の心情を察してしまうとか、そういうのも含まれてるとは思いますがやっぱり根本にあるのは心の余裕のなさなのかな、と。私個人の考えですけどね。

つまりは大なり小なりみんなつらいんですけど、一言でも「つらい」と言えば「つらい」と言うことすら我慢してしまう外野の方が出てきて場外乱闘騒ぎになってしまうので、「それなら人を刺激したり争うのはよくないな」とピースフルジャパン魂炸裂で「自分自身のつらさ」もしまいこんでしまいがちだな、と思っている次第でございます。

まとめると、
つらいと言う→つらいけどつらいと言うのを我慢してる人がどこからともなくやってきて「我慢しろ(俺も我慢してんじゃい)」と同調圧力をかけてくる→「つらい」と言わないほうがいいんだ!→みんな「つらい」と言わなくなる→みんな我慢しまくりつらいの耐えまくり、チキチキ!全日本つらい選手権!って感じですかね。余計わかりにくいわ!って。ほんとごめんな。


しかし全日本つらい選手権を開催しても誰も救われないんですよね、実際。
暗黒面には落ちるしソウルジェムは穢れるし目は死んでいくし、最終的には「空きれい」しか言えなくなる。わー、空きれいだね、うろこ雲だねー。え?うろこ雲?ああ、上層雲の巻積雲のことですか(笑)うろこ雲ねー、懐かしいわほんと、俺も言ったわー、小学生の頃はうろこ雲って言ってたわーちなみに高積雲と区別つきます?え?つかない?マジ(笑)(笑笑)(和民)(魚民)みたいな会話になっちゃいますよどうします?はい、どうもしないですね。


全日本つらい選手権の無意味さを表した漫画もいちおう載っけときます。再掲だけど。



とにかく私が言いたいことは「つらいことはつらい以上でも以下にもならないのだから誰かと比較したり競うことでつらいことを押さえ込むのはやめよう」ということなんですよ。

例えばこれが肉体的な怪我だったら、「骨折した!痛いつらい!」と言ってるAさんがいるとします。そこに複雑骨折かつ切れ痔かつ花粉症かつ、いろいろあって職も失ってしまったBさんが来て「何を言っておるこの若造が!わしに比べたらそんなの屁でもないわい!」と言ってもAさんの怪我は治らないし、Bさんの怪我も痔も花粉症も良くなるわけじゃないし、仕事に就けるわけでもないわけです。
むしろBさんのイライラがAさんの伝染して、相乗効果で倍々ゲームになってこの病室の空気はまじ最悪!ってなるわけです。突然の同じ病室設定。

そりゃ確かに、Bさんに比べたらAさんはまだ「マシな方」かもしれません。
でもAさんもBさんも骨折が痛くてつらくて苦しいことに違いはないわけで、そんな状態なら「全日本つらい選手権」を開催するよりお互いに「痛いのってつらいよねー」と慰めあうとか、もしくはまったく関係ないうろこ雲の話で気を紛らわせるとか、そういうコミュニケーションの方が健全だと思うのです。


それくらい「つらい」という感情の吐露には差異がうまれがちなので、個人的には自分自身が自分のつらさを認めて、「あー今自分つらいよね、つらいけどがんばってるよねエライなあ」とセルフ慰め(漢字で書くと下ネタになる)をするのが良い方法でした。
それが私の場合はゆがみちゃんなりTwitterなりnoteで、一見発信のかたちを取ってるけど結局は自分自身の感情と向き合ってただけなんですよ。
ついでに親子問題に悩んでる人に向けてネットで発信すれば同じ悩みの人たちがちょっとでも気が楽になったらいいじゃんと思った、それだけのことです。
でも外から見るとそれが「悲劇のヒロインぶってる」「慰めて欲しがってる」と誤解する人もいていろいろありましたが、とにかくつらいことはつらい!、でいいんですよ。いいんですよ~~!ごはんですよおいしいよ~~!



あとこれ今思いついたんですけど、「つらい」と言うと「弱い」と言われたりしますが、真の弱い人は自分自身のつらさを認められない人だと思うので、誰かが「つらい」と言うとすぐキレたり感情が不安定になってしまう人がいたらその人こそが本当に「弱い」から、「つらい」んじゃないかなと。

「つらい」と、別に共感を求めるでも助けを求めるわけでもないのに、相手の単なる独り言であっても嫌がる人がいるならば、その人はきっと「つらい」と言うことを我慢してるんだと私は思っています。
隣にいて四六時中「つらいつらい」と聞こえるように言ってるならまだしも、ネットの発達でコミュニケーション方法が受信側・発信側もある程度選べて、コントロールできるようになってもつっかかりたくなる攻撃性は、自分自身の弱さや脆さから来てるんじゃないのかなーと、考えてしまうのです。

もしくは「弱音を吐くな、愚痴を言うな、強くなれ」と言われ育って、愚痴を言わないことが美学と思い込んでしまうこともあるかもしれません。確かに、愚痴を一言も漏らさず一生懸命努力する人は魅力的にみえるし、憧れます。
でももしそれが「我慢してるだけ」の状態なら、我慢すんな!つらいと言え!もっと熱くなれよ!本音に向き合えよ!と、ついつい私の中の松岡修造が顔を出してくるんですよ。

ただそれを、友人とか家族とか、私みたいなネットの一個人とかに言い続けるのも正直聞いてる側はキツイと思うんで、Twitterやブログといった一方的に発信できる場所で書き連ねるのがいいんじゃないのかなと私は思います。
ネットなら気軽に集まれるし気軽に離れられるので、見たい人は見ればいいし見たくない人は見なければいいがそこそこ選択できるので便利です。見なくていいのにつっかかってくる人?そんなのは即効ブロックして記憶のゴミ箱から削除削除!(と自分には言い聞かせている)(なかなか難しいけど)

お金に余裕があればカウンセラーを利用するのも手だと思います。あと自助会などを利用するのも良いと思います。自分に合った方法で、誰かに負担をかけすぎない感じで「つらい」という気持ちを吐き出してってほしいと思います。


これはTwitterにもnoteでも書籍のコラムでも書いてることで、正直「何度目だよ」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
なので私もぶっちゃけ「また似たようなものを書いてしまった…」と思ってるのですが、ゆがみちゃんをネットで公開している限り新たに見る新規読者さんがいなくなることはないと思いますし、新規読者さんの中にはやはり「これに比べたら私の環境なんでマシなんだ!私はつらくないんだ!我慢しないといけないんだ!」と自分のつらさを仕舞いこもうとしてしまう方がいらっしゃるので、そんな反応を見かけてしまいまたしても書いてしまったという次第です。

余談ですが書籍の方は、本編で説明しきれなかったり説明不足なものをコラムで補足したつもりだったのですが、そのあたりガン無視した低評価レビューをされたので、まあ情報量が多すぎなんで仕方ないとは思いますが「ちょっと感情を爆発させる前に読もうぜ!!深呼吸して!!」とかは思いましたよね。
とはいえ私の伝え方が稚拙かつ複雑でわかりにくいってのは的を射ているし、私自身も自覚してるのでそういう面ではありがたい指摘でもありました。


鋭意製作中の新しい作品群、親子問題というか毒親問題からは一旦離れます。ただ「少しでも気が楽になるコンテンツを提供していきたい」という気持ちに変わりはありません。私の書くものは胸を躍らせるようなスペクタル大作ではありませんが、数年後にふと思い出して「そういえばあれあの時役に立ったし気も紛れたな」というものをつくっていきたいものです。ン~抽象的~~!

てな具合で、今後ともよろしくしていただける方はよろしくね。では!



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