実質無料 / 実際有料

雑記。

仮想〇〇というのは「〇〇ではないが " 仮 " に〇〇と " 想 " 定しても差し支えない」という意味が折り畳まれた単語です。

VR、Virtual Reality を仮想現実と訳すと何故か「」内の「〇〇でない~」の部分が強調されて現実ではない、現実と対になる何かのように思われます。

しかしながら、Virtual が形容詞的に Reality に係っているように仮想と現実は対になる概念ではないのです。

仮想と訳すのが相応しくないとして、どう訳すのか。ここで候補になるのが「実質・実質的」です。VR は仮想現実ではなく実質的現実としましょう。

という前 4 段落のような流れの議論が VR / VTuber の界隈では聴こえたり聴こえなかったりするのですが、この「Virtual は仮想ではなく実質と訳すべきであり、Real と対になる概念ではない」という議論は何年か前にもおこなわれていたようです。2000 年代、いわゆるゼロ年代という頃に。

フランス現代哲学者であるジル・ドゥルーズ辺りの議論を日本に持ち込むにあたってそんな感じのアレがあったそうです(参考)。まぁ Virtual には他にも潜勢的だとかの訳があり、かつ Real の方にも実存だとかそういう訳が当てられているような記述があってもうたまらんちんですね。

このドゥルーズ、ゼロ年代という要素がなかなか面倒で、どうしても思いはゲンロンというカタカナに引っ張られてしまいがち、なかなか頭の言うことを聞いてはくれなくなります。東浩紀というお方の影響力は大きいですね。

さて、ドゥルーズのいうところの Virtual と対になるのは Actual で、Real に対応するのは Possible となるんだそうな。この話は彼の議論のほんの一部なのですが分かろうという気の起こらなさがすごい。

Real / Possible の対応というのはゲーム的な発想をすると分かりやすいように思いますし、そのようなフィクションは多数存在します。1 つのセーブデータを Real とするなら、そのゲームで演算されたであろうその他のルートは全て Possible な存在です。無限に広がる有り得た筈の今、あるいはシュレディンガーの猫を量子力学の極小世界では Real / Possible の別がなくなることの示唆であるとする SF マインド。まぁ議論の中身を読むとまるで違う概念操作のようですけど、妄言として書いておきたかった。

ではではではでは、Virtual / Actual の対応は如何せん。Virtual が実質であるときに Actual とは。経験豊富な忍殺ヘッズ諸君はお分かりのとおり Actually の訳語として対応するのが、かの有名な「実際」です(参考)。実際すごい。そして辞書的にもこの訳で問題ないという。問題は Virtual の方にも実際の訳が載っているということなんですけど。ふざけんじゃあない。

さてタイトル。実質無料というカロリーゼロ理論を真面目に考えてみましょう。例えば推しがなんかの商品を販売すると。何枚かのお札が消えるわけですがファンにとっては実質無料なんですねこれが。マジかよ。無料ではないが仮に無料と想定しても差し支えない。仮想無料。少なくとも自分に言い聞かせたり、他人にそう宣言ことに意味や面白みがあるわけです。実際には有料ですが。実質無料は実際有料。これは文章としても問題ないし、意味も分かりやすいのではないでしょうか。ちなみに仮想敵国の仮想は別の単語の訳でありこれを実質敵国とする必要はなさそうです。

そんな感じです。Virtual / Real で対になる概念ではないという点は意識しておくべきですね。課題はドゥルーズを読み込むのが我々の殆どと私にとってクソほど荷が重いという点と、今の世を騒がせている VR がドゥルーズの提唱した概念を継いだものではない可能性だわな。VR の方は単純にもう 1 つの意味である光学的虚像の方から来たとする方が説明しやすい部分も多いかもしれない。VTuber の方は実質として差し支えなさそうではある。

魂という単語をレトリカルな強さがあるので避けたいという個人的なアレもあって、ペルソナおじさんになりつつあるのですが(これもまぁレトリカルな強度があるが魂よりマシだし細かい分には良いでしょう)、Virtual / Real という考え方はリリカルな部分に引っ張られている感じが随分しますね。口にしやすいというのは強い。全て Actual って言おうとすると噛みそうになるのが悪い。俺だけ?

推しです。

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