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書評『ヱクリヲ vol.10』(2019年の批評誌)

我々はなぜ応援するのか。或いはなぜ応援するようになったのか。

スポーツ選手を、アイドルやプロゲーマー、ゲーム実況者、YouTuber や VTuber を。もしくはゲーム自体、作家自身、サービスそのものを。

インタラクティブなコンテンツが増えた。SNS が発展し、応援する者とされる者とは相互に繋がり、その距離は限りなく近づいた。それはある種の幻想の零落であり、それ以前のアイドルやカリスマとしての在り方は通用しなくなっている。

我々は知っている。アーティストが当たり前に暮らしていること、アイドルがこちらの応援に後押しされていること、作家が読者の反応で物語を組み替えること。もしかしたら気づいている。ソシャゲへの課金がサービスの存続に関わること、タイムラインを埋めるファンアートが彼らの人気に繋がること、配信中に流れ、読み上げられるコメントがコンテンツになること。

では、そのようなインタラクティブなコンテンツの在り方はどのような歴史の中で発展してきたのか。それにはどのような特徴がありどのような課題があり、どのような可能性――すなわち未来があるのか。『ヱクリヲ vol.10』特集Ⅰ一〇年代ポピュラー文化」はそのような問いについて頭を巡らせるための一つの叩き台だ。

なぜこの雑誌をここで紹介するかといえば、このようなポピュラー文化全般を扱う特集の中に VTuber を主題とする批評が掲載されているからである。これによりポピュラー文化とその歴史の中へどのように VTuber とその文化を位置づけるべきか、べきでないのかという見方ができるだろう。

バーチャルYouTuberエンゲージメントの美学――配信のシステムとデザイン」と題された批評を担当したのは難波優輝氏。分析美学を専門としてポピュラー文化を研究しているようだ。

この批評は難波氏の言葉を借りれば " VTuber はもちろん、メディアを介した様々なペルソナへのエンゲージメントの分析、構築 "  "「配信」という表現形式に関する美学的考察を行う手がかり " になるだろう。たとえばストリーマーや大会配信、YouTuber などについても応用できそうだ。

難波氏が VTuber について批評を試みたのはこれが最初ではなく、たとえばバーチャル YouTuber についての特集がなされた昨年の『ユリイカ 7 月号』にも論考が掲載されている。

バーチャルYouTuberの三つの身体――パーソン、ペルソナ、キャラクタ」というこちらの批評はバーチャル YouTuber という形をとって我々の前に表れる現象はどのような構造をしているのか分析するもの。

私の理解で噛み砕こう。パーソンは実在する人間、キャラクタが Live2D や 3D モデル、そして高校生や吸血鬼などの設定を指す。

ペルソナはキャラクタを前提とし、その土台の上で行われるパーソンと視聴者との相互作用の間で揺らめく VTuber としてのイメージ像というところだろうか。

ユリイカの掲載の論考に対応するブログの記事は以下のものだ。しかしながらユリイカのものは再構築によって整理され(分かりやすく)、かつ難波氏の論考の直後のページで竹本竜都氏が理論を彼の援用しながら実例に当てはめる試みをおこなっている。興味のある方は一読されたい。

ヱクリヲの論考はユリイカのものを発展させ、VTuber の配信を見る我々視聴者は何を観ているのか、我々の抱く感情とはどのような構造を前提としているのかを明らかにする試みだ。

そこではインタラクティブなコンテンツを鑑賞する我々という図式が VTuber の配信を例にして語られている。ポピュラー文化全般を扱う特集の中で、この試みは VTuber 以外のものまで照らす射程を持っている。

VTuber の業界について志のあるものが何かを語る時、この試みについて目配せをしながら口を開くくらいのことはして良いだろう。

難波氏以外の論考についても、ポピュラー文化について通史的な見方をする構成になっており、最初に掲げた「我々はなぜ応援するのか。或いはなぜ応援するようになったのか。」という疑問に一つの道筋を提示するだろう。

さて、ヱクリヲ vol.10 の特集Ⅰについてここまで文字を連ねてきたが、Ⅰというからには少なくともⅡが存在する。

特集Ⅱは「A24 インディペンデント映画スタジオの最先端」として新進気鋭のインディ映画会社・A24 を紹介するもの。彼らの歴史を追いながら、それをインディ映画会社の歴史全体の最先端に組み込む構成になっている。

このようにもうひとつの特集に触れるのは、ヱクリヲ編集部がそのような構成を組んだ意図に感銘を受けたからである。それは私の活動にも通じるものだ。であればこそ第 10 号まで続いたこの熱気が続くよう、更なる発展を願って、末尾 Editor's note を引用して終わりにしよう。

弊誌がこれまで二個以上の企画を一冊に用意してきたのも、一方の企画に興味を持って手に取った読者が、もう一方の企画も併せて読むことで、興味の幅を広げたり、本来は繋がりのない文化圏の相関性を見出すような偶然を期待しているからなのです。

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